『北原白秋詩集 上』
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【文庫双六】自死した親友を悼む白秋の悲しみ――川本三郎
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
ドイツのスパイを独探(どくたん)と言ったのに対し、日露戦争当時のロシアの軍事スパイは露探(ろたん)と言った。
明治三十七年(一九〇四)、日露戦争開戦直後、九州の水郷、柳川で露探の疑いをかけられ、それを苦に自殺した少年がいる。
柳川生まれの歌人、詩人北原白秋の友人であり詩友であった中島鎮夫(しずお)。数え十九歳だった。
柳川の伝習館中学時代、白秋と鎮夫(白秋に対し白雨と号した)は共に詩を愛する少年だった。
富国強兵、殖産興業が言われる明治の世に、そもそも詩など求められない。しかもロシアとのあいだに緊張が高まっている頃。開戦必至の状況にある。
そんな折、詩を語り、内村鑑三の「非戦論」に共感するような少年たちは学校から非国民とにらまれるようになった。
とくに早熟で、学校の教育方針に反抗的だった鎮夫は露探のあらぬ疑いをかけられた。十九歳の学生が軍事スパイであることなど普通では考えられないが、大国との戦争という非常事態下ではそれがまかり通った。
鎮夫はその苦痛から短刀で咽喉を突いて自殺した。
白秋は鎮夫を愛していた。「二人は肉交こそなかったが、殆ど同性の恋に堕ちていたかもわからないほど、日ましに親密になった」とのちに回想している。
それだけに鎮夫の自死は白秋に衝撃を与えた。三百行にわたる追悼の長詩「林下の黙想」を書き、また、釣台(つりだい)(担架)に乗せられて家へと運ばれてゆく友に付き添って歩いた時の詩「たんぽぽ」を書いた。
「あかき血しほはたんぽぽの/ゆめの逕(こみち)にしたたるや、/君がかなしき釣台は/ひとり入日(いりひ)にゆられゆく……」
青春とは友情の季節という。白秋にとって友人の不幸な死は大きな悲しみとなった。この年、白秋は中学を退学し、逃げるように故郷を出て上京した。
「たんぽぽ」は普通は黄色だが、柳川では白という。白のなかの赤が鮮烈。