いばらない生き方―テレビタレントの仕事術―
2024/05/29

折りたたみ携帯の時代に「YouTubeやった方がいい」と言った天才・飯島愛がロケバスでヒデちゃんにだけ見せた姿とは

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東京大学の五月祭に登場した飯島愛さん(1993年)

『ウチくる!?』『THE夜もヒッパレ』など人気番組のMCを務め、最近は書道の個展に3万人以上が訪れるなど、活躍を続ける中山秀征さん(56)。

 その中山さんが著書『いばらない生き方 テレビタレントの仕事術』(新潮社)で明かしているのが、2008年に亡くなった飯島愛さんとのエピソードだ。タレントとして唯一無二の才能と先見性を見せながら、繊細な一面もあり、中山さんにロケバスで弱音を吐くこともあったという。

「日本のモンロー」だった愛ちゃんが、ヒデちゃんだからこそ見せた姿とは――。

(※以下、同書より引用・再構成しました)

3回失敗を重ね、背水の陣で挑んだのが『ウチくる!?』だった

「長寿番組」という言葉に明確な定義はありませんが、テレビ放送70年の歴史を考えると、10年続けば立派な長寿と言えるのではないでしょうか。

 僕は『DAISUKI!』や『TVおじゃマンボウ』など長寿番組に恵まれたのですが、その中でも、19年間も愛してもらった、僕史上“最長寿番組”といえば、フジテレビ系で日曜お昼12時から放送されていた『ウチくる!?』(1999~2018年)です。

 この番組は、生まれ育った街や、思い出深い場所を案内してもらうことで、ゲストが“素顔”を見せてくれるロケバラエティ。メインゲスト、サプライズゲストを合わせ、実に4000人以上の方々に出演していただきました。最高視聴率は16・5%と、お昼の時間帯としては異例でした。

 僕にとって『ウチくる!?』は、企画の立ち上げから本格的にかかわった初めての番組として、特別な思い入れもあって……。

 19年間貫いた番組コンセプトは、「故郷に錦を飾る」でしたが、実はこれ、僕が幼い頃から愛読していた雑誌『明星』や『平凡』をベースに考えたモノでした。

 当時の芸能情報誌には、トシちゃんや聖子ちゃんなど、当代の人気アイドルが、生まれ故郷に帰って、思い出の駄菓子屋に行ったり、学生時代の友達と昔話に花を咲かせたりする、名物企画がありました。

 有名人が地元で“素の表情”を見せる……。「あの企画をテレビでできたら、日曜昼にピッタリじゃないか」と思ったのです。

 そもそも、フジテレビ・日曜12時といえば、僕が所属する渡辺プロダクションが番組制作にも携わる大切な時間帯でした。その時間帯のフジテレビは1976年の『クイズ・ドレミファドン!』から1990年の『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』まで、長く人気番組が続いていました。

 しかし、90年代後半に入り苦戦を強いられていました。

 TBSは、現在も続く『アッコにおまかせ!』が、日テレは、KinKi Kids の番組が放送されていたまさに“激戦区”。

 僕は、1997年に初めて、この枠のMCを任されたのですが……。

『トロトロで行こう!』『OH!トロ2で行こう』『そう快!ヒデタミン』と、形を変えながら放送された3つの番組は、残念ながらどれもヒットしませんでした。もしこの3番組をすべて観ていたという方がいたら、かなりのマニアだと思います(笑)。

 せっかく大切な時間帯のMCを任せてもらったのに結果が出ない。「このまま終わるのは悔しい。終わるならフルスイングしたい」と、僕は賭けに出ました。昔から一緒にやってきた制作会社に声をかけ、企画書を作り、プロデューサーに「自分たちの企画で勝負させてほしい」と相談したのです。

 スタジオショーだった番組を、『DAISUKI!』のようなオールロケにし、さらに、「ゲストを主役にする」ために、愛読誌を参考に「故郷に錦を飾る」というコンセプトを考えました。

 こうして『ウチくる!?』の企画が出来上がったわけですが、いくらMCであっても、タレントが制作会社を連れてきて、自分の企画をやりたい……なんて、タレントの裁量を超えていたかもしれません。なので「ダメならこの枠から身を引くので、3カ月だけ任せてください」と、覚悟を持って一か八かの大勝負に出ました。まさに背水の陣。

 第1回のゲストは、僕が若い時からお世話になっていた研ナオコさん。生まれ故郷の静岡を案内してくれました。

 研さんは、番組のコンセプトに大いに乗っかってくれて、実家からお忍びで行くお店まで、すべての場所にカメラを入れさせてくれました。実家では親族の皆さんが勢ぞろいでもてなしてくれたのですが、顔を見れば、皆さん、研さんそっくりで……。笑いをこらえられませんでした(すみません!)。

 もちろんトークも大いに盛り上がり、番組のラストで感動のお手紙が読み上げられると、今度は一同涙して。

 初回ロケを終えた直後に「この番組はイケそうだ」と大きな手ごたえを感じました。先輩の懐の深さと、親族の皆さんのキャラクターの濃さに感謝です。

 そんなふうに、放送が始まる前から、「いい番組になりそう」という予感はあったものの、それだけでは『ウチくる!?』が19年も続くことは、おそらくなかったでしょう。「いい番組」を「おもしろい番組」にしてくれたのは、ゲストの皆さんの魅力はもちろんですが、間違いなく、ある共演者の「力」が大きかったと思います。

 初代MCを務めてくれた、飯島愛さんです。

飯島愛という天才

『ウチくる!?』は、ゲストが故郷を訪れるほっこりしたロケ部分と、トークで本音に迫る攻めた部分とが共存していました。この“攻め”を担ってくれたのが、初代MCの愛ちゃん、2008年に亡くなった飯島愛さんです。

 愛ちゃんは、スキャンダルが報じられたゲストに、「まだ付き合ってんの?」と聞いてタジタジにさせたり、大御所の“長い話”に現場のみんなが飽き始めた時、突然鼻歌を歌ったりしたことも。

 みんなが何となく感じている、言いづらい、聞きづらいことを、いち早く察知して言葉や行動で表現する。しかも、それが嫌味にならないどころか、言われた方も笑ってしまう。これは“毒舌”や“辛口”と言われるタレントに共通する才能ですが、愛ちゃんは、それが天下一品でした。

 愛ちゃんと初めて会ったのは1993年、テレビ東京の伝説の深夜番組『ギルガメッシュNIGHT』にゲスト出演した時でした。

 愛ちゃんは、当時イケイケ女子の象徴的存在でしたが、朝、収録スタジオの廊下で初めて見た彼女は、小柄で童顔で、とても素朴な女の子。「え? この子が、あの飯島愛?」と驚いたものの、メイクをして、ヒールを履いてスタジオに入ると、セクシーで攻撃的な飯島愛に完璧に“変身”している。そのギャップとプロ意識に、さらに驚かされました。

 その後、他の番組で何度か共演し、すごく相性が良いと感じていたので、『ウチくる!?』立ち上げの時、「ぜひ一緒に」とオファーさせてもらいました。愛ちゃんも意気に感じてくれ、明るく、全力で番組を盛り上げてくれました。

 一方、普段の彼女は、凄く落ち込みやすい人でもあり……。

 あれは、番組初期、新潟ロケから帰るバスの中でした。

「勉強もしていない私が、司会でいいのかな?」「全然喋れてないし……」「私って役に立ってるのかな?」と、愛ちゃんから、不安の言葉が溢れ出てきました。僕は、偉そうになるのが嫌で他人にアドバイスをするのが苦手なのですが、この時ばかりは、言葉を尽くしました。

「愛ちゃんの“一言の破壊力”には誰も勝てない」「俺は飯島愛にはなれない。この番組は、愛ちゃんじゃなきゃダメなんです」「進行は俺がやるから、愛ちゃんは上手くやろうとか、流れとか考えなくていいからね」

 東京に着くまで、ずっと話し続けたのを覚えています。

 改めて彼女の繊細さを知るとともに、他人の本質を鋭く見抜く彼女でさえ、“自分の武器の強さ”はなかなか自覚できるものではないのかと、タレント業の難しさも感じました。

ヒデちゃん、これからはYouTubeだよ

 2007年3月で、愛ちゃんは芸能界を引退し、『ウチくる!?』も卒業しました。

 その少し前のことです。

「ヒデちゃん、これからはYouTubeだよ。絶対にやった方がいいよ」

 突然、愛ちゃんから言われました。

「ゆーちゅーぶ?」

「ヒデちゃんがチャンネルになって、好きな番組をいつでも作れるの」

「テレビ局を買うの?」

「違う。誰でも番組を作れて、それが、携帯で見られるようになるの。だから、絶対にやりなよ。いつもスタッフさんとやってることをそのまま流すんだよ」

「愛ちゃん、何かボッタくろうとするつもり?(笑)」

 まだ、携帯電話が二つ折りの時代。当時はチンプンカンプンでしたが、今、改めて、愛ちゃんの先見性に驚かされます。素直に聞いていれば、僕は芸能人YouTuberの先駆けになっていましたね(笑)。

 愛ちゃんは、芸能界を退いた後も、おしゃれな大人のグッズを開発して、それをコンビニに置きたいと、常に新しい事業のプランを語り、その商品も完成して、プレスイベントも予定されていました。

 そんな2008年末、突然の訃報を耳にした時は、信じられない気持ちで……。

 愛ちゃんは、それまでも、1週間くらい連絡が取れなくなった後、突然、「ニューヨークの友達の家に行ってた」なんていうことがよくあったので、あの時も「フラッと帰ってくるだろう」とみんなが思っていたはず。

 僕の中には、今もまだ、「帰ってくるんじゃないかな」という思いがどこかにあるんです。
 お別れの会の時も言いましたが、「愛ちゃん、あなたは日本のモンローです」。

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【『ウチくる!?』で学んだ、明るく生きるヒント】
・立場を超える提案には、覚悟を決めて臨む
・共演者の「本質的な魅力」に目を向ける

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『いばらない生き方 テレビタレントの仕事術』では、2023年に亡くなった上岡龍太郎さんが中山さんに語った人生訓や、強面な印象とは違った素顔も明かされている。

続きを読む:「苦しいときは登っているとき。慢心したときは…」上岡龍太郎が遺した珠玉の名言と意外な一面とは

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中山秀征(ナカヤマ・ヒデユキ)
1967年生まれ。群馬県出身。テレビタレント。14歳でデビューして以来40年以上にわたり、バラエティ番組や情報番組の司会、俳優、歌手として活躍している。

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