南沢奈央の読書日記
2024/08/23

短く、深く

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク


撮影:南沢奈央

 短ければ短いほうがいいよね、と頷き合った。それは神楽坂での夜。わたしは小唄の会に参加していた。
 小唄とは、江戸時代から伝わる三味線音楽。爪弾きでの演奏、歌詞が1番しかなく、1曲2分前後と短いのが特徴だ。知り合いに誘われてわたしは2カ月ほど前から小唄の稽古に通っているのだが、先生が会を開くということでその知り合いと一緒に伺った。
 定期的に行われているこの小唄の会は、毎回その時季に合わせた小唄を数曲選び、語りで解説を加えながら演奏していくという趣向になっている。そのため1時間通して聴くと、それぞれ単体だった短い小唄が、鑑賞者の頭のなかで繋がっていくので、一つの物語を見たような感覚になった。「選曲をするときは、DJの気分」と、先生は意外な表現を使っていたが、まさにその通り、曲の流れが見事だった。
 その日は、隅田川の花火大会の喧騒から始まり、そこでひっそり結ばれる縁、船のなかでの逢瀬、簾の向こうから漏れ聞こえる声、月明かり……と徐々に、賑やかで暑い夏から、川風の涼しさを感じさせ、切なさや静けさがある秋へと移ろっていく様子を7曲で味わった。
 我々が小唄を習っているからだろう、技術的な説明もしてくれて、「これは短いからこそ、とても難しい曲です」とおっしゃっていたのが、「忍ぶ夜は」という一曲。おそらく1分もなかったとても短い曲で、歌詞はこんな感じだ。
〈忍ぶ夜はあちら向かんせお月さん たまの御見じゃにな 辛気らし〉
 たったこれだけなのである。「忍ぶ」とは人目を避ける、「御見」は江戸時代、主に遊女が使った言葉で、お目にかかるという意。「辛気」とは、じれったい、ということ。
 これは、ある月夜に遊女が久しぶりに会う男が来るのを待っている様子を描いている、と解説されることが多いのだそう。だが先生はあえて、男女とせずに“ある二人”と可能性を広げてもいいのではないか、と話された。そこから知り合いも、「じれったい」と言っているからだれかを待っているかのようだけど、もうすでに会った後のようにも読めるよね、と話が展開し、どう感じ取ったか、どんな景色が見えたか、それぞれの感想で盛り上がった。
 正解はないのでそれぞれの解釈や想像にお任せしますと、先生はやさしく締めた。そうして帰り際、知り合いと言い合った。小唄って短ければ短いほうがなんかいいよね、俳句みたいに。

 わたしは珍しく俳句を読みたいと思った。それで開いたのが、せきしろさん初の単独・自由律俳句集『そんな言葉があることを忘れていた』だ。
 俳句といっても、いわゆる五・七・五ではない。自由律、つまり音数の定めがない。しかも“無季”ということで、季語を含む決まりもない俳句。小唄の先生が難しいとおっしゃっていたように、短い上に自由度があるというのは難しそうだ(わたし自身俳句を詠むわけではないので全くの素人考えだが)。せきしろさんはこれを20年以上、作り続けてきたという。
 全4章で、320句が収録されている。「経年」「孤影」「叙景」「過古」と、章ごとに題されている言葉も良い。
 先に書いたように、想像する余白や余地があるから、俳句を鑑賞するのはおもしろい。そう思っていたのだが、せきしろさんの俳句には、これまで接してきた俳句とは異なる広がりがあった。これまでの多くは、作者の意図を知ろうと想像を広げるような感覚だったのだが、せきしろさんの句は、すーっと自分のなかに入ってきて、いつかどこかで自分が見た景色と重なり、やがて自分自身の思い出を辿って深めていくような、そんな感覚だったのだ。
 人が詠んだ句が、自分のことのように感じられる。ということはそれだけシンプルで、余地も残され、描かれているのは日常。「あとがき」にあるように、〈いつも目にしているもので、誰かに言うほどでもないこと、いわば言語化する必要のないもので頭の中は散らかり放題であったが、ふと言葉となって目の前に現れた〉ものたちなのだ。
 
 やはり今、この夏の終わりに響いてきたのは、夏~秋の句だった。
〈目覚めても目覚めても夏〉
 1カ月ぶりに会った姪っ子が真っ黒に日焼けしていた。幼稚園が夏休みで、近所のプールに毎日通っていたのだそう。朝からの暑さにぐったりして、できるだけ外に出ないようにしていたわたしに比べて、姪っ子は起きるたびうれしくてたまらなくて、全身で夏を楽しんだようだ。
〈まだ花火の匂いがするよと手を見せてくる〉
 わたしは花火が好きなので、線香花火だけでもいいから、チャンスを見つけてしたいと思っている。それが今年はやれなかった。そして見ることもできなかった。誰か、匂いだけでもください。
〈盆踊りをやっている気配がすごい〉
 気配、だ。そう、毎年夏は気配を感じるだけ。どこかから太鼓や笛の音、人々の声が楽しそうに聞こえてくることがあるが、いいなと思うだけで人混みが苦手なので近づこうとしない。盆踊りが趣味だという知人がいるのだが、彼女のインスタで参加した各地の盆踊りの写真がアップされる。気配はSNS上にも。
〈冷蔵庫の中に残る夏を食う〉
 なんとなしに夏の食べ物の象徴としてスイカを連想したが、今年のわたしの夏の象徴は、食欲が落ちたときに買い溜めたゼリーだろう。冷えたゼリーならさらっと食べられるのでは、と思ったけど、わたしはもともとそんなにゼリーを好きではなかった。冷えていればいるほど、お腹を下してしまうことが多いのだ。なのに買ったゼリーは当たり前のように、冷蔵庫のなかに残っている。夏は終わる。そろそろ食べようか。
〈境内だけ秋が早く遊ぶ子はまだ半袖〉
 この前行った山に、1本だけぜんぶが真っ赤に紅葉しているもみじがあった。秋を先取りしているようでもあるが、なにかから取り残されているようでもあり。それを見つけたわたしは汗だくで、すこし奇妙な感覚になった。

 日常の景色。季節の移ろい。思い出のかけら――〈消える前に一句〉と残してくれた、一句一句が、すべての人のどこかの記憶にリンクするはずだ。

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク