南沢奈央の読書日記
2024/06/28

旅読書のススメ

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撮影:南沢奈央

 母と韓国に行ってきた。コロナ前は、母と毎年のように行っていたし、一人でも行くくらいに身近な場所だったが、今回は約5年ぶりとなった。
 一人ではない旅で読書できるタイミングといえば、移動中か就寝前だろう。案外読めないのが常なのに、張り切って数冊の本を持っていってしまうのも常……。今回も2冊、カバンに忍ばせた。
 羽田から韓国の金浦空港までは2時間ほど。食事をとって、できれば少し寝られたらなと考えるそばから、あっという間に着いてしまうだろうなと思い直し、席についてすぐに本を出した。
 行きのフライトで読む本は、久しぶりの韓国への気持ちをさらに高めるべく、韓国の作品にしようと決めていた。そこで選んだのは、日本で6月頭に出版されたばかりの韓国の詩人ナ・テジュさんによる詩集『心がそっと傾く』だ。ちなみにフライト中、母の方も、「3日の休暇」という韓国映画を観ていて、これから始まる3日間の韓国旅への気持ちを高めているように見えた。内容はまったくわからないが。
 韓国の作家さんによる小説やエッセイは読んだことがあったが、詩集は初めてだと本を開いて気づいた。韓国を味わおうと思って選んだものの、釜山、公州など、地名がときどき出てきたときに、韓国を感じるくらいだった。

 

 黒河星子さんによる翻訳も洗練されていて、すっと心に入ってくるような言葉が並ぶ。特に好きだったのは、詩にまつわる詩だ。
〈いつかぼくを生かしてくれた 誰かの詩のように
 ぼくの詩よ、いま ほかの人のところに行って
 その人のことも 生かしてほしい〉
「ぼくの詩へ」という題が表すように、まさに詩人から詩へのメッセージのような詩だ。自分が詩をだれかに“届けたい”のではなくて、詩という作品になったら、もう自分の手元を離れて世界へ羽ばたいてほしいという、詩を信じる力強さと、そこに思いを託す切実さが感じられる。タンポポの綿毛が飛んでいく挿絵によって、未来への希望がより見えてぐっときた。
 他にも「新しい詩」や「雲がきれいに見える日」では詩が生まれる瞬間が綴られていて、詩に対する愛が随所に溢れている。だから詩一篇一篇に体温のようなものがあり、読んでいるこちらにもあたたかさが広がってきて心地よい。
 来年80歳になるとは思えないくらいの、ナ・テジュさんの清らかな感性に触れて、わたしもこんなふうに素直に物事に向き合っていたいと思うのだった。
 
「それじゃあ本屋さんに行こう」
 韓国に着いたあと、読んだばかりの詩集の話をしたら、母が言った。
 わたしは一時期集中的に韓国語を勉強していたこともあって、ある程度は言葉を理解することができる。せっかくなら原文でちゃんと感じてみたらいいのではないかと提案してくれたのだった。
 結局、最終日の空港に向かう前に大型書店・教保文庫へ寄ることになった。
 その書店の入り口に、文字が彫られた大きな石があり、目を引いた。そこに書かれていたのは、〈人は本をつくり、本は人をつくる〉。とても良い言葉だ。調べたところ、これは教保文庫を創立し、読書人口を増やすためにさまざまな活動を推進したという、シン・ヨンホさんの言葉だそうだ。
 実際に書店の中に入ってみると、つい本を手に取りたくなるような造りになっている。広々とした空間に、ゆとりのある陳列。平積みが多く、表紙が目に留まりやすくなっている。中心にある棚も最上段で目線の高さほどなので、棚が並んでいても圧迫感が一切ない。非常に開放的に作られているのだ。そしてどこからかアロマのような良い香りがする。
 斬新だったのは、回転寿司のような陳列。楕円形のレールの上を本が廻っていたのだ。だけど廻っているのはすべて同じ本。注目の一冊として紹介されているコーナーで、よく見るとそれは東野圭吾さんの小説『クスノキの女神』だった。日本でも5月に発売されたばかりの新刊だから、韓国でも人気なのがよくわかる。
 そんなメインの場所に小説やエッセイと同様に並んでいたのが、詩集。韓国ドラマを観ていても、詩を朗読したり引用したりしている場面がけっこうあり、韓国人にとって詩は身近なのだと思う。
 平積みされた新刊を何気なく見ただけで、ナ・テジュさんの詩集が数冊並んでいるのを見つけた。さらに棚に行くと、著書がずらり。1971年に登壇して以来、詩以外にも童話や散文集など多くの作品を残されているのだ。そのなかにもちろん、『心がそっと傾く』もあった。日本語翻訳版とほとんど同じ装丁なのだけど、微妙にサイズが異なり、兄弟のよう。手にした瞬間、愛おしい存在となった。
 行きに日本語で読んだ作品を、帰りに原文で読む。するとまた、心の響き方が変わっている。新たな旅読書の楽しみ方を発見できた旅であった。

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