南沢奈央の読書日記
2024/06/14

ほんとに、プレゼントでできている

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撮影:南沢奈央

 わたしの誕生日は6月15日なのだが、家族には1か月前から祝われている。誕生日プレゼントを約1か月前からもらい始めるのだ。物心ついたときから、毎年そうなのである。
 というのも、約1か月前の5月16日が姉の誕生日だからだ。誕生日が同じシーズンのため、「誕生日プレゼント、何が欲しい?」という会話はまとめて行われる。それに慣れているから、5月に入るとわたしもプレゼント候補を考え始めるクセがついている。だから今年も、父と姉からのプレゼントは5月中にもらい終えている。母からのプレゼントである舞台の鑑賞チケットも先月予約した。姉のところの3歳の姪っ子にも、バースデーソングをすでに歌ってもらった。
 巻きでプレゼントを渡してしまうのは南沢家のクセなのか、母の日に、父にも父の日のプレゼントを一緒に渡した。今年はお揃いのものにしたからあえてそうした、という理由もあるが、あまりにさらっと渡してしまったので、父に“父の日のプレゼントだ”ということが伝わっているかは不明だ。
 わたしも明日がいよいよ誕生日本番だというのに、もう祝われ終えている気分である。でも正直構わない。欲しいとリクエストした、ワイヤレスイヤホンとペンケースはすぐに使いたいものだったから。もらった初日からカバンに入れて毎日のように持ち歩いている。

 誕生日が近いから最近はこれだけプレゼントをいただいているが、矢部太郎さんの最新コミックエッセイ『プレゼントでできている』で、〈僕はよく ものをもらいます〉という言葉を見て、わたしはそこまででもないかな、と思った。
 矢部さんならではの、さまざまなプレゼントとそれにまつわる思い出が描かれている。モンゴル人の一家から絨毯をもらったり、民宿のご主人から鹿の角をもらったり、先輩芸人の板尾さんから手鏡やキッズサイズのTシャツをもらったり、舞台で共演したスターから炊飯器をもらったり……。
 ふと、わたしも炊飯器をもらったことがあることを思い出した。まさに今自宅で使っているものだ。おそらく10年くらい前だったろうか、まだ実家暮らしをしていたのに、母から赤い炊飯器をもらった。それも誕生日プレゼントだったと思う。
 実家にはもちろん炊飯器があるので家では使わない。ではなぜ炊飯器かというと、地方での仕事のときのためである。大学を卒業して地方での長期の仕事が増えてきた頃、毎日コンビニ弁当などでは良くないと健康を気にして買ってくれたのだった。ご飯を炊く時に、一緒に野菜を切っていれると蒸し野菜もできるよと教えてもらい、わたしは時代劇の撮影のために滞在していた京都のホテルで、自分で初めてご飯を炊いたのだった。
 
〈プレゼントで 気持ちや想い出や目に見えないものも つながっていく だからもう会えないかもしれない そんな誰かとも つながることができる〉
 そうだ、祖父が作った木彫りの置物。祖母が着ていた洋服。デビュー作で共演した俳優の林隆三さんからいただいた下駄。私小説家の西村賢太さんのサイン色紙。くれた人はもういないけれど、確かにそれはここにある。向き合ってみると、一気にその人との時間が思い出されていく。
 矢部さんの話を読んでいるはずなのに、いつの間にか自分自身の、人との記憶がやさしく蘇る。そしてわたしもたくさんの思いを受け取っていたんだ、と気づいた。
 カバンの中を見てもそうだ。財布とスマホ以外、誰かからもらったものだ。
 ワイヤレスイヤホンとペンケースはもちろん、手ぬぐい、キーケース、ティッシュケース、パスケース、巾着袋、この中に入っているリップクリーム2本も。そして、この『プレゼントでできている』もそうだ。
 ほんとに、プレゼントでできている。

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