小橋めぐみ 性とか愛とか
2024/10/15

「醜く貧乏な職人」が美しい「奥様」に告白した“罪”とは…気味が悪くても微かに惹かれる「人間椅子」(レビュー)

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小橋めぐみ・評 江戸川乱歩『人間椅子』

 佳子は美しい女性作家。毎朝夫を見送ると、書斎で原稿を書く前に読者からの手紙に目を通すのが日課だ。ある日、「奥様」と呼びかける言葉で始まる原稿の束が送られてくる。

 それは、一人の椅子職人による「罪」の告白だった。

 自分は醜く貧乏な職人だが、椅子作りの才能だけは確かで、注文も沢山くる。やがて、かつて手がけたことのないほど大きな革張りの肘掛け椅子のオーダーがきて、夢中でそれを作った。

 ふと魔が差し、椅子の中に入れるのではと思い、細工して身を収めた。椅子は外国人経営のホテルのラウンジに運ばれ、腰かける人の温もりを感じて楽しんだが、座るのは異国人ばかり。

 やっぱり日本人がいいなと思っていると、次に運ばれたのが日本人のお屋敷。

 そう。あなたが座っているのが、その椅子です。

 さらに原稿は続く。あなたに恋をしてしまった。一目会って、言葉をかけてほしい。大丈夫、今は椅子から抜け出して外に出ている。会ってくれるなら、窓にハンカチを置いてほしい。

 佳子はあまりの気持ち悪さに部屋を飛び出す。そこへまた、一通の手紙が届く。

 いわく、お送りした私の創作は、いかがでしたか。原稿の表題は「人間椅子」としたい考えです――。

 長くなったがあえて要約した。現実離れした、ただ気味の悪い創作のように感じるかもしれない。しかし、江戸川乱歩の手にかかると、恐ろしいほどのリアリティがある。佳子と同じように、つい、ぐんぐん先を読んでしまう。そしていつしか、革一枚を隔てた感触の描写に奇妙な心地よさを感じる。

 職人は、佳子が椅子に身を投げた時にはできるだけ「フーワリと優しく受ける様に」心がけ、彼女が疲れていると「分らぬ程にソロソロと膝を動かして」安らぎを与え、居眠りを始めたら「幽に、膝をゆすって」揺りかごの役目を果たす。

 少し前に“人をダメにするソファ”なるものが流行った。所有する友人に、私も買いたいと思っていることを話したら、反対された。「きっとそこから動けなくなるから」と。

 この小説を読んでいて少し怖くなるのは、気味が悪いと思いつつ、座ってみたいと微かに思ってしまう自分がいることだ。世界に一つだけの、柔らかな椅子に。

小橋めぐみ(こばし・めぐみ)
1979年、東京都生まれ。無類の本好きとしても知られ、新聞・女性誌などに書評を寄せるなど、近年は読書家として新たなフィールドでも活躍中。
著書に、読書エッセイ『恋読』(角川書店)がある。近年の出演作は、映画『あみはおばけ』、『こいのわ 婚活クルージング』、NHK「天才てれびくんhello,」、BSフジ「警視庁捜査資料管理室(仮)」など。

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