戦争を避けて隣国ジョージアに逃げたロシア人たちの現実とは? 移民難民問題に迫った一冊 『移民・難民たちの新世界地図』試し読み

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 今なお続くロシア・ウクライナ戦争は、両国のみならず欧州全土を揺るがし、人々の価値観をも変えつつある。それは私たち日本人にも他国のことと見過ごしにできない世界の「現実」である。

 ジャーナリストの村山祐介氏は、2021年から約3年にわたり、激動の欧州をつぶさに取材し、衝撃のルポルタージュ『移民・難民たちの新世界地図 ウクライナ発「地殻変動」一〇〇〇日の記録』をまとめた。

 戦争を避けて隣国ジョージアに逃げたロシア人たちが、“反ロシア”を掲げつつも、ロシア人であるがゆえに迫害される「現実」に迫った一節を公開する。

***

ジョージア


ジョージアの街はロシアへの非難とウクライナ国旗の落書きであふれていた。<2023年8月25日、ジョージア・トビリシ>

 二〇二三年夏、オランダに暮らす私は円安ユーロ高と物価高のダブルパンチに見舞われていた。
 ウクライナ侵攻でインフレ率が一〇%に達した二二年から物価は高止まりが続いており、加速度的に安くなる円に換算するとずっしりと重く感じるのだ。スーパーに行くたびに気がめいった。
 そこで私は娘の夏休みに合わせて、何もかも高いオランダを逃れ、物価が安い旧ソ連構成国の一つ、ジョージアで過ごすことにした。
 かつてグルジアと呼ばれた人口約三七〇万人の小国で、ガーリックソースで鶏肉を煮込んだシュクメルリなどの多彩な郷土料理やワイン発祥の地として知られている。日本や欧州諸国、ロシアなど約一〇〇カ国からビザなしで一年間まで長期滞在でき、旅をしながらリモートワークをする「ノマドの聖地」としても注目されていた。私も家族旅行と原稿の執筆を兼ねた「ワーケーション」をするつもりだった。
 七月一八日、アムステルダムからイスタンブール経由の飛行機で首都トビリシに着くと、強烈な日差しとムンとする熱気にたじろいだ。酷暑の日中に長居できる涼しい場所を求めて、カフェやコワーキングスペースを探し歩いた。
 古代の要塞や今にも崩れそうな旧ソ連時代のアパート、レトロな風情の温泉街があるかと思えば、遊覧船が浮かぶ川沿いにはガラス張りの近未来的な橋や建物が並ぶ。そんな過去と未来がないまぜの街を現代にピン止めしているのが、いたるところにある落書きだった。あちこちの壁やドアにスプレーでカラフルな文字やイラストが描かれていた。
 そこにはウクライナ侵攻も色濃く投影されていた。黄色と水色のウクライナ国旗や「ウクライナに栄光あれ!」といった支援のメッセージが描かれ、「くたばれロシア人」といった不穏で攻撃的な書き込みもあった。
 思わぬ場所で「踏み絵」を突き付けられることもあった。コワーキングスペースの受付で手渡された入会申込書の表紙に、英語でこんな文章が箇条書きされていたのだ。

一.ロシアによるウクライナ侵攻は人道に対する罪であること
二.ロシアはジョージアを二〇〇八年に侵略した占領者であること
三.ジョージア領土の一体性を支持し、アブハジアと南オセチアはジョージア領であること
四.プーチンは世界平和への脅威であること

 すべてに同意を求められ、下には署名欄まである。私が「署名しないと入会できないのですか」と確認すると、受付の女性は「もちろんです」とぴしゃりと言った。
 モルドバと同様、ジョージアにも北西部のアブハジアと北部の南オセチアという二つの「未承認国家」がある。旧ソ連崩壊に伴ってジョージアが一九九一年に独立した際、二地域の親ロシア派住民がそれぞれ独立を宣言し、これまでジョージア政府の統治が及ばない状態が続いてきた。
 ジョージア軍が二〇〇八年八月七日に南オセチアを攻撃すると、ロシア軍が翌八日に軍事介入し、五日間にわたる激しい武力紛争に発展した。軍事力で圧倒したロシアは二地域の独立を一方的に承認し、ジョージアはロシアとの外交関係を断絶した。ジョージアはいまも国土の二割を親ロシア派に占拠され、約三〇万人が避難生活を強いられている。
 街中に描かれたウクライナ国旗は、同じようにロシア軍に侵攻され、領土を占拠されているジョージア人たちの強い連帯感の表れだった。入会申込書の四項目も、そうしたジョージア人の立場を理解し、支持するかどうかを問うものだったのだ。
 ウクライナ侵攻は、ロシアと国境を接するジョージアに直接的な影響も及ぼしていた。
 ビザが不要な逃避先として、侵攻に反対するロシア人が大勢流れ込んだのだ。とりわけプーチン政権が二二年九月二一日に部分的な動員令を発動した直後は、慌てて脱出するロシア人がジョージア国境に殺到する様子がニュースになっていた。
 ロシアへの敵意がむき出しのジョージアで、戦争を逃れたロシア人がどんな思いで暮らしているのか。夏休みが終わってオランダに戻る家族を空港に見送った私は一人、ジョージアに残った。

重ならないシュプレヒコール

 ウクライナの独立記念日にあたり、侵攻から一年半となる八月二四日の夕方、トビリシの旧ロシア大使館前に約一〇〇人が集まっていた。
 〇八年の武力紛争でジョージアとロシアが国交を断絶した後、建物は中立国スイスの大使館となったが、いまもロシアの外交窓口となる「利益代表部」が置かれている。向かいにはウクライナ大使館があるというセンシティブな場所だ。


旧ロシア大使館の前で「ウクライナに栄光あれ!」と唱える、国を脱したロシア人たち。<23年8月24日、ジョージア・トビリシ>

 参加者たちは「プーチンは殺人者だ!」「暴力反対、戦争反対」などと書かれたプラカードを掲げていた。マイクを手にした男性がロシア語で「ウクライナに栄光あれ!」と叫ぶと、全員が「栄光あれ!」とシュプレヒコールを上げた。そして掛け声に合わせて全員が口をそろえた。
「ジョージア占領反対! アブハジアはジョージアだ! 南オセチアはジョージアだ!」
 叫んでいたのはウクライナ人でもジョージア人でもない。ロシア人だ。
 その輪の中に、ウクライナカラーのハートマークをあしらったTシャツを着たダニール・チュバー(二八)がいた。ウクライナ避難民に医薬品などを配るNGOを運営するダニールは、流暢な英語で言った。
「この地に逃れたロシア人が戦争に反対する姿を見せる。それが私たちにとって大切なんです」
 このとき、目抜き通りを五キロほど東に向かった国会議事堂前では、ウクライナ避難民とジョージア人が参加する反戦集会が予定されていた。私が「なぜ別々にやるのか」と尋ねると、ダニールはちょっと言葉を探した後、「見え方の問題です」と答えた。
「ジョージア人とウクライナ人は、この地にいるロシア人があまり路上で抗議行動をしないことを快く思っていません。私たちが彼らの集会に参加すると、多くの人が『戦争に反対するロシア人はどこに行ったんだ?』といぶかしがるでしょう」
 戦争反対の姿を見せたいというのなら、むしろ目の前でアピールすればよいのではないか。私がそう尋ねると、ダニールは口ごもった。
「多くのウクライナ人にとって、『よいロシア人か、悪いロシア人か』なんて関係ありません。ただ不快に感じ、彼らの集会を乗っ取りに来たと受け止めるでしょう。だから……ええと、そういうことなんです」
 演出家マリア・マカロバ(四〇)に同じことを尋ねると、やはり表情を曇らせた。
「ウクライナ人の集会にロシア人が参加しても、喜ばれるとは思えません。邪魔しに来たと思われるのが関の山です。招かれてもいないので、相談する機会もありませんし……」
 私はこの後、タクシーで目抜き通りを東に向かった。


「ウクライナに栄光あれ!」と叫ぶウクライナ避難民と地元ジョージアの人。ベラルーシ反体制派の旗もあった。<23年8月24日、ジョージア・トビリシ>

 旧ロシア大使館と国会議事堂のほぼ中間地点から出発した数百人が、長さ三〇メートルはある巨大なウクライナ国旗を頭上に掲げながら練り歩いていた。通り過ぎる車が連帯を意味するクラクションを「ブブッ」と鳴らすと、「ヒュー」という大きな口笛が響いた。ジョージア国旗と、ベラルーシ反体制派を象徴する「白・赤・白」の旧ベラルーシ国旗もあった。
 ライトアップされた国会議事堂前に到着すると、参加者は巨大なウクライナ国旗を囲み、「ウクライナに栄光あれ!」と声を張り上げた。そしてマイクを手にした男性の掛け声を合図に、一斉にぴょんぴょんと跳びはねた。その動きで巨大な国旗がばたばたとはためき、歓声が上がった。
 何を盛り上がっているのか近くの人に聞くと、こんな答えが返ってきた。
「ロシア人じゃない人はジャンプしよう、と言っているんです」
 私はダニールとマリアが口ごもった理由がやっと分かった。戦争に反対し、ウクライナを支持していても、「ロシア人か否か」というフィルターで敵方に振り分けられてしまうのだ。そしてそれは、この地に逃れたロシア人の背負う重い十字架のようなものだった。

パラレルワールド

 私は一週間前の八月一七日、トビリシ市内にあるダニールが立ち上げたNGO「行動する移民団」の事務所を訪ねていた。部屋にはかぜや糖尿病の薬、鎮静剤などを入れたかごが並び、ウクライナの女性が薬を取りに来ていた。
 ドイツ系財団のモスクワ事務所で働いていたダニールは侵攻直後の二二年三月、リュック一つでトビリシに逃れた。
 数週間の緊急避難のつもりだったが、ロシア国内で言論への弾圧が強まり、一カ月後にはモスクワ事務所が強制的に閉鎖された。戦争反対を公言し、反戦デモに参加してきた自身の安全に不安を覚え、トビリシにとどまることを決めた。同じような境遇のロシア人六人で四月、ウクライナ避難民に医薬品を配るこのNGOを創設し、約四〇人がボランティアとして参加している。
 ロシア人がビザなしで一年間滞在できるジョージアはもともと、プーチン政権の弾圧から逃れた野党政治家や独立系ジャーナリストら「反体制派」の避難先になってきた。
 流入が最初のピークを迎えたのは二一年。ロシアで毒殺未遂に遭い、療養先のドイツから帰国した直後に拘束された反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ(二四年二月死去)の釈放を求めるデモがロシア各地で広がり、プーチン政権が反体制派への弾圧を強めた時期だった。
 そこに二二年二月以降、ダニールら侵攻に反対して国を出た第二世代の「反侵攻派」が加わった。比較的高収入で、リモートワークで生計を立てられるIT技術者ら専門性の高い職種が中心だった。さらに九月からは、プーチン政権の部分的動員令による兵役を避けるため、慌てて脱出した第三世代の「反動員派」がなだれ込んだ。政治色は薄まり、職種も収入水準もさまざまな人たちが加わった。フランス国際関係研究所は二三年七月の報告書で、侵攻後にロシアから国外に移住した人は一〇〇万人に上ると分析している。
 ダニールも二二年九月に殺到した「反動員派」を支援するため、ロシアとジョージアの国境に駆けつけた。そのとき、いわば世代間ギャップのような違和感を覚えたという。
「ロシアとジョージアの歴史をほとんど知らない人もいるんです。だから、歴史的背景を教える講習会を開きました。ロシア人は〇八年の武力紛争をさほど意識しませんが、領土を占拠されているジョージア人にとって紛争は続いているのですから」
 ジョージア人を刺激したり、不快にさせたりしないための心構えも説いている。
「ジョージア人の多くがロシア語を話せるからと言って、ロシア語を話したいかどうかは別問題です。まずは英語や簡単なジョージア語を覚えて話しかけよう、といったことを伝えています」
 ダニール自身も、反戦の思いは重なるはずのジョージア人との間に埋めがたい溝を感じている。
「私もジョージア人の知り合いはそれほどいません。ロシア人は基本的にロシア人が経営するカフェやバーで、ロシアの友人と過ごしています。『パラレルワールド』で過ごせてしまうんです。私を含めてほとんどの人はジョージア語を話せませんし、欧州志向の強いジョージアの若者はロシア人を快く思っていません。接するきっかけがないんです」
 それでもなぜジョージアに居続けるのか聞くと、ダニールは「ジョージアは戦争が続いていることを忘れることができない場所だからです」と言った。
「欧州にも何度か行きましたが、パリやベルリン、そしてハーグを歩いていても、戦争に関するものを目にすることはほとんどありません。そうじゃありませんか?」
 ハーグに住む私はうなずくしかなかった。
「正しいことかどうか分かりませんが、侵略国の国民として、いまは快適に暮らすべき時期ではないと思うんです。『ロシア人は帰れ』といった落書きもあるこの場所こそが、私が居るべき場所だと思います。戦争が続く間、支援が必要な人たちを支えていくのが私たちの仕事ですから」
 ダニールはテーブルをポンポンと何度かたたき、自分に言い聞かせるように言った。
「ロシアが大好きで生涯暮らすつもりでしたが、いまは人命をないがしろにする恐ろしい侵略国です。パスポートを燃やしてもどうにもならないので、ロシアにはプーチンや戦争を支持しない人も大勢いることを示していくしかありません。ロシア人であるという事実は消せませんから」
 ジョージア内務省の資料によると、二二年一月から九月末までに入国して滞在したロシア人は一一万二千人余り。人口三七〇万人の小国のなかに、ジョージア人に比べて概して収入水準の高い数万人規模の「パラレルワールド」が生まれたことになる。

以上は本編の一部です。詳細・続きは書籍にて

村山祐介
ジャーナリスト。1971年東京都生まれ。立教大学法学部卒。1995年に三菱商事、2001年に朝日新聞社に入社。ワシントン特派員としてアメリカ外交、ドバイ支局長として中東情勢を取材し、国内では政権や経済を主に担当した。2020年に退社してフリーに。21年からオランダ・ハーグを拠点に国境を越える動きを追う「クロスボーダー」をテーマに取材し、マスメディアや自身のYouTubeチャンネル「クロスボーダーリポート」などで発信している。アメリカ大陸を舞台にした移民・難民を追った取材で2018年にATP賞テレビグランプリ・ドキュメンタリー部門奨励賞、2019 年にボーン・上田記念国際記者賞、2021年にノンフィクション書籍『エクソダス アメリカ国境の狂気と祈り』(新潮社)で講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞した。

新潮社
2024年10月10日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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