『文化の脱走兵』
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<書評>『文化の脱走兵』奈倉有里 著
[レビュアー] 杉本真維子(詩人)
◆言葉を割り出る柔らかな心
世の中にはいろいろな人がいる。この「いろいろ」という人の在り方を知ることが、とどのつまり、人生ということなのかもしれない。誰かの好きな季節、場所、本。それは私の好きなものとどのように違うのか。その小さな問いかけが、国と国の戦争を考えることに繫(つな)がる。個人と世界はどこまでも地続きだということを私たちは諦めてはいけないのだ。
雨が好きという心境を不思議がる著者。冬が好きという著者の心境を不思議がる読者の私。積雪地方で生まれ育った私にとって、冬が好きという感覚は雨が好きと同じくらいわからないものだ。それでも、わからない、という円環のなかで著者と繫がったようでうれしくなる。わからなさこそ大事にしたいと改めて思うのだ。
好きな人の顔が思い出せないこと、布しか切っちゃいけない重たいハサミのこと、著者の記憶は共通の水脈のようなものも突き当てる。驚いたのは、その記憶からうみだされる鮮やかな認識だ。子どもの頃、楽しい夏の終わりに泣きそうな思いで時間を戻そうとしていたという。その思いは「惜しむ」というネガティブな言葉に換言されそうなものの、著者は「夏への限りなく感謝に近い気持ちだった」と振り返る。言葉の中に心がぴたりとはまるような感覚をおぼえ、はっとする。
そこで思い出すのが、クルミの話だ。子どもの頃、友達の家のお父さんがクルミを割ってごちそうしてくれたという。「私」を見つけると、「おっ、クルミの好きな子だね」と嬉(うれ)しそうな顔をして。
「おじさんはペンチのようなものに殻つきのクルミを挟んで、カタン、また挟んで、カタン、と割っていく」
このゆったりとしたリズムとともに、割りたての殻から、「くたっとやわらかくて甘くて、おいしい」クルミが出てくる。いわばこの殻が言葉で、クルミが心なのだ、と私は思った。言葉と心の関係がふいに示されたのだ。著者もまたクルミのように言葉を割って、そこからとびきりおいしい心を取りだし、私たちにごちそうしている。
(講談社・1760円)
1982年生まれ。ロシア文学研究者、翻訳者。近著『ロシア文学の教室』。
◆もう1冊
『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』奈倉有里著(イースト・プレス)