圧倒的な才能で周囲を魅了した天才少女が事故死…「演劇学校」を舞台に死の真相に迫ったミステリ作品 『少女マクベス』試し読み

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 あの日、一幕の途中で、大道具のひとつである魔女の大釜の脚にひびが入っているのが見つかった。牛を丸ごと煮こめそうなほど巨大な釜で、場面によって他の舞台セットや幕で隠されることはあるが、基本的に舞台の下手奥にずっと置かれているものだった。急遽、一幕と二幕の幕間で奈落に下ろして修理を行うことになり、そのために下手奥の迫りが使用された。迫りとは床の一部が切り抜かれてエレベーターのように昇降する舞台機構で、俳優や大道具を登場させたり退場させたりするのに使われる。大釜を載せた四メートル四方の床が八メートル下の暗がりへ下りていき、舞台には同じ大きさの穴が開いた。
 迫りは危険な装置であり、しばしば事故も起きている。したがって公演に関するほぼすべての作業を生徒みずからが行う百花演劇学校においても、迫りの操作は外部のプロに依頼しており、作動中に生徒が近づくことは厳禁とされている。このときもそのルールは守られていた。迫りが作動しているあいだ、生徒は全員、念のため舞台から離れて袖で待機していた。迫りが下り切って動きが止まってから、舞台に出て二幕の準備に取りかかったが、そのときも迫りからは充分な距離を取っていた。
 了が突然、舞台に登場したのはそんなときだった。幕間に確認したいことでもあったのだろうか。緞帳を下ろした舞台へ下手の袖から出ていき、ふらふらと吸いこまれるようにして、そのぽっかり口を開けていた奈落へ落ちた。
 一幕が上演されているあいだ、彼女は客席の上手、中央、下手、二階、とさまざまに場所を移動しながら舞台を見ていたらしい。しかし大釜の破損が発覚したときは姿が見えず、演出補佐のひとりとしてバックヤードにいたさやかも捜したが見つけられなかった。舞台装置に関する責任者である舞台監督の決定によって大釜を奈落へ下ろすことになり、その旨がインカムを通してスタッフ全員に伝えられた。当然、了にも伝わっているはずだった。
 了がバックヤードから舞台下手へ続く通路に現れたとき、ちょうど楽屋へ向かう綾乃と氷菜と行き合った。ふたりはその近くで舞台監督の三年生と話していて、話が終わって立ち去るところだったという。了はふたりに賞賛の言葉をかけ、そのまま舞台へと出ていった。舞台では二幕の準備が進められており、全体が照明で照らされて明るく、迫りが下がっていることは一目瞭然だった。もちろん迫りが下がっていることを示すランプも点いていた。

降田天
執筆担当の鮎川颯とプロット担当の萩野瑛による作家ユニット。少女小説作家として活躍後、2014年に「女王はかえらない」で第13回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、降田天名義でのデビュー。18年、「偽りの春」で第71回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞。著書に、「偽りの春」が収録された『偽りの春 神倉駅前交番 狩野雷太の推理』『彼女はもどらない』『すみれ屋敷の罪人』『ネメシスIV』『朝と夕の犯罪』『さんず』『事件は終わった』などがある。

双葉社
2024年10月1日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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