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- アウシュヴィッツの小さな厩番
- 価格:2,310円(税込)
『アウシュヴィッツの小さな厩番』(新潮社)が刊行されました。
ドイツのケルンに生まれたユダヤ人の少年が、死と隣り合わせの過酷な労働をいくつも乗り越え、人間が失いうるほぼすべてのものを失いながらも、3つの強制収容所を生きのびた奇跡の実話です。
元々は自費出版されましたが、心打つ物語をより多くの読者に届けようと大手出版社から再刊行され、現在12カ国語で翻訳が進んでいます。
本作の中から、自分を普通のドイツ人だと思っていた著者が、世界が変わってしまったことを知った一日について描いた「第1章 ドイツ人の男の子」を一抜粋・編集して試し読みとして公開します。
***
ずっと昔、わたしは5歳になるドイツ人の男の子だった。名前をハインツ・アドルフ・オースターといった。
あの頃のわたしはくしゃくしゃの黒髪をした、知りたがりやの活発で生意気な子どもで、好奇心が人一倍強く、いっときもじっとしていられなかった。
そんなわたしのごく幼い頃の記憶に残る光景の一つが、故郷であるドイツの歴史ある荘厳な街ケルンの並木道を、1933年のドイツ国政選挙の投票に向かう父と歩いて行くところだ。それはもちろん、アドルフ・ヒトラーと彼の国家社会主義ドイツ労働者党──ナチ党──がドイツの政権を握ることを許したあの選挙だった。
わたしは、あの日がどれほど重要な日であるかも、あるいはあの選挙がどんな未来に繋がっていくのかもまったくわかっていなかった。いや、そんなことはだれにもわからなかった。おそらくアドルフ・ヒトラーその人さえも。けれども、わたしの父──ハンス・イジドア・オースター──が、自宅アパートを出たところでわたしと手をつなぎ、投票用紙記入所へと続く道を歩いて行く姿をわたしは確かに覚えている。
ユダヤ人である前にドイツ人として
父は長身で痩せ型、まじめな人柄でみんなから尊敬されていた。通りを行き交う人々は父に気づくとニッコリ笑い、帽子を軽く持ち上げて挨拶した。父の友人たちは、お出かけ用のよそゆきをまとった「小公子」のような小さな息子、つまりわたしをよく見ようとして身を屈めた。記憶に残る父はひっきりなしにタバコを吸っていた──タバコを吸うと、父はますます堂々とした、分別のある立派な男に見えるような気がした。
父と二人だけで出かけるのはめったにない楽しみだった。父はいくつかの小さなデパートの経営者で、いつもとても忙しかった。だから父よりも母と過ごすことのほうが多かったのだ。
投票所を出たあと、父が菓子店にシュラークザーネを食べに連れて行ってくれたのを覚えている。バニラ味のホイップクリームで、今ならアイスクリームを食べに行くようなものだ。わたしはとても嬉しかった。その日は最高の一日となった。
わたしは一人っ子だった。両親と三人で、ドイツ西部のこの国際色豊かな気品ある街に住んでいた。ケルンは、街の上方に雲をつくようにそびえ立つ双塔をもつゴシック建築の巨大な聖堂、ケルン大聖堂で知られている。
わたしたち家族はそのカトリックのケルン大聖堂で祈りを捧げることはなかったが、何はともあれ、善良なドイツ人一家だった。自分たちが他の人々に比べてドイツ人らしくないと感じる理由はひとつもなかった。父はドイツ軍に従軍した経験があった。大戦争──第一次世界大戦──では何百万人ものドイツの男たちと同じように戦った。戦争で負傷もした。集中砲撃を浴びた際に砲弾の破片が当たって頬に傷を負ったのだ。父は勇敢勲章を授与された。それが正しいかどうかにかかわらず、父には自分の国を守るために──祖国のために──戦わない理由がなかった。他のあらゆる善良なドイツ人と同じように。
唯一違っていたのは、わたしたち一家がユダヤ人であることだった。しかし当時のわたしには、それは大した問題ではなかった。顔見知りのドイツ人の子どもたちと自分の違いを感じるとすれば、みんなは日曜に教会に行くけれど、自分は金曜の夜にシナゴーグ〔ユダヤ教の会堂〕に行くことぐらいだった。またわたしはドイツユダヤ人学校に通っていて、そこではごく普通の課目の他にヘブライ語の授業もあった。けれどもわたしは、自分の家庭が他のドイツ人家庭と違っているとか、どちらが良いとか悪いとかいうことは、まったく考えていなかった。
はじめて小学校に登校した日に
わたしたちは何不自由のないごく普通の暮らしをしていた。わたしはドイツの活気ある都市でやさしい家族と暮らす、落ち着きのない一人のドイツ人の子どもに過ぎなかった。しかしヒトラーとナチ党が権力を握るようになると──その頃にはちょうど、わたしも周囲で何が起きているかわかる年齢になっていた──すべてがおかしくなりはじめた。
何かおかしいとわたしが感じはじめたのは──異分子として選別され、迫害される最初の経験をしたのは──1934年の、小学校にはじめて登校した日のことだった。
他の子どもたち同様、その日はわたしも不安を感じ、ちょっと心配していた。わたしはもう六歳で、心構えができているかどうかにかかわらず、両親の元を離れて一人で未知の世界に踏み出そうとしていた。
学校には両親が徒歩で送ってくれた。ひどく緊張しながら歩くわたしが背負う革製の小さなリュックサックには、小型の黒板とそれに紐で結び付けられた1本のチョーク、そして黒板消しに使うスポンジが一つ入っていた。半ズボンに長靴下を穿き、1年生の印のベレー帽のような小さな帽子を被っていた。
他の子どもたちもみな同じだったが、わたしも両親からもらった厚紙でできた大きな円錐形の包みを抱えていた。それはメガホンか、低能帽〔昔、できの悪い子どもに罰として被せられた円錐形の紙帽子〕のような形をしていて、中にはキャンディや小さな玩具などさまざまな種類の魅力的なものが詰まっていた。
昔からドイツでは、小学校入学の日にこの包み──ツッカーテューテ、つまり「シュガーコーン」と呼ばれていた──を持たせて送り出すことになっていて、未知の世界に新たな一歩を踏み出す子どもたちの不安を和らげるためのものだった。学校で包みを開けることは許されておらず──上部は赤いセロファンで覆われて、中の品物を取り出せないようになっていた──開けるのは家に帰ってからだった。これは一種のご褒美で、とても楽しみなものだった。わたしのシュガーコーンは、自分の背丈と同じくらい大きかった。少なくとも、わたしにはそう感じられた。
ところがその日の放課後、大切なシュガーコーンを抱えて学校を出たわたしたちは、ヒトラー・ユーゲント〔ナチ党の青少年組織〕とその下部組織、ドイツ少国民団とドイツ少女団の集団に襲撃された。学校の外の歩道では、わたしたちとそれほど年の違わない少年や少女たちの騒がしい集団が待ち受けていた。彼らはみなとても誇らしげで、まるで年少のナチ党版ボーイスカウトやガールスカウトのような服装をしていた。
世界は前よりずっと暗く、危険な場所になった
わたしたちは死ぬほど怯えていた。クラスメートの何人かは泣いていた。みな、たった6歳の子どもだったのだ。そして、不安でいっぱいの登校初日が終わった今、怒りの金切り声を上げるナチ党の暴徒たちから、理由もなく攻撃されていた。
わたしの両親は──他のすべてのユダヤ人の子どもの両親も──一緒に歩いて帰るつもりで学校の外まで迎えに来ていた。しかし親たちにも手の出しようがなかった。ヒトラー・ユーゲントのリーダーを務める屈強な若者たちによって押しのけられてしまったからだ。
見上げると、そろいのユニフォームと怒りの形相の数々が、海のように広がっていたのを覚えている。彼らはわたしたちに向かって大声を上げ、嘲った。怒り狂った少年少女はみな、ナチ党のネッカチーフを揃いの鉤十字のクリップを使って首元で留めていた。ドイツ少国民団の少年たちは腰のベルトに短剣をぶら下げていた。彼らは10歳から14歳までのほんの子どもだったのに、一人ひとりがナチ党の小型のナイフを所持していた。
さらに後方にナチ党の幹部と、ヒトラー・ユーゲントの少年少女を誇らしげに見守る親たちが、腕組みをして立っているのが見えた。自分の息子や娘が、ユダヤ人の小さな子どもたちに身の程を知らせ、物事の理(ことわり)を教えている光景を、彼らが楽しんで眺めているのは明らかだった。
ヒトラー・ユーゲントの少年や少女は、わたしたちに石を投げつけた。棒で叩いたりもした。両親がいる安全な場所にたどり着くためには、この石つぶてと振り下ろされる棒をかいくぐるほかなかった。
彼らは、わたしたちが抱えているシュガーコーンを躍起になって攻撃しようとした。棒で強く叩いて、地面にはたき落とそうとした。そして、包みが落ちて破れると、地面に転がった中身に一斉に群がってキャンディや玩具を奪い去った。
やがて、当時はまだナチ党員とは限らなかったケルン市の警官が二人近づいてきて襲撃を止めてくれたので、わたしや他のユダヤ人の子どもたちは、ようやく両親のもとにたどり着けるだけの時間と空間を手に入れた。
重傷を負った子どもは一人もいなかった──ちょっとした擦り傷や切り傷と、あちこちにほんの少し血が滲んだ程度で済んだ。しかしみんな大きなショックを受けていた。
その日の朝、わたしはたくさんの興奮と期待を胸に、クラスでうまくやれるか心配しながら登校した。そして同じ日の午後、ようやく自宅に帰り着いたときには、世界は前よりもずっと暗く、危険な場所になっていた。その後、わたしの人生が元通りになることは二度となかった。
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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「週刊新潮」「新潮」「芸術新潮」「nicola」「ニコ☆プチ」「ENGINE」などの雑誌も手掛けている。
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