「男性部下の股をわしづかみにする行為」を許していいのか? 軽視されがちな“男性の性被害”に向き合う

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女性がされたら大問題になる気がするけど…

大ヒットドラマ「半沢直樹」で歌舞伎俳優の片岡愛之助が演じた、金融庁の黒崎検査官を覚えている方は多いだろう。主人公の半沢と対立するエリートで、失敗した部下の股を容赦なくわしづかみにして叱責するという、強烈なキャラクターだった。

だが、同意もなく他人の股をわしづかみにすることは、される側が男性であっても、許されることだろうか。それを「コミカル」で「面白い」シーンとして受け入れていいのだろうか。

男性の性被害に焦点を当てた新書『男性の性暴力被害』(宮崎浩一、西岡真由美・著)では、男性の被害実態や構造、その心身に及ぼす影響、被害者の回復や支援の在り方までを探っている。

同書によると、男性の被害は軽く見られがちであり、どうにか被害を打ち明けたとしても、後の二次被害に深く傷付けられることがあるという。

被害者が女性でも男性でも、同意のない中で行われる性的言動はすべて性暴力だ。男性の性被害を見つめ直し、もし身近な男性から性被害を打ち明けられたときにどうすればいいのか、同書から考えてみたい(以下、同書をもとに再構成しました)。

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「よくある男の子同士のじゃれあいだ」で済まさないために

もしも男性の友人が、子どもが、パートナーが、教え子が性暴力に遭ったことを本人からあるいは間接的に聞いたら、多くの人はショックを受けたり、信じられない気持ちになったりするかもしれません。特に自分の子どもが性暴力に遭うと、ショックや加害者に対する怒り、子どもの気持ちを慮(おもんぱか)ってのつらさに加え、子どもを守れなかったという自責感や情けなさなど、さまざまな感情が渦巻くことと思います。性暴力は、身近な人も傷つけます。被害者が成人でもそのように言えると思いますが、特に子どもであった場合、被害者の保護者や兄弟姉妹、友人や交際相手などは「間接的な被害者」とも呼ばれています(参考:藤森和美、野坂祐子・編『子どもへの性暴力――その理解と支援』誠信書房、2013年)。

例えば保護者であれば、本人のサポート役やケアする役割を求められたり、求められているように感じたりすることもしばしばかと思います。自分自身も混乱し、ショックを受けている中で、子どものサポートやケアを行うのは並大抵のことではないでしょう。

また、男児の被害については、「男の子」の性は「女の子」の性よりも軽んじられている風潮があるため、場合によっては家族の中でも被害の捉え方に違いが生まれるかもしれません。例えば、男児が同級生の男の子数人によって無理やり下着を下ろされるということが起きた場合、母親は深刻ないじめ(性的いじめと捉えるかどうかは別としても)と捉えるけれど、父親は「よくある男の子同士のじゃれ合いだ」、場合によっては、「自分で何とか立ち向かえるような強さを持てるようにならないと」とまで思ってしまうかもしれません。

ここには、社会が期待する「男らしさ」や、「男らしさ」を無条件に肯定して仲間内で盛り上がるのをよしとする価値観の肯定があるようにも思われます。もちろん、ここに書いたような母親と父親の考えが入れ替わることも十分にあり得ます。そのような考え方の違いから、家族の中にひずみが生じることもあります。

いずれにしても、性暴力被害は、当事者はもちろんのこと、周囲にもさまざまな影響をもたらします。この節では、被害者の傍(そば)にいる人はどのようなことを感じやすく、被害者と共にどのようにあることができるのか、ということを考えていきたいと思います。

宮崎浩一(みやざき ひろかず)
1988年、鹿児島県生まれ。立命館大学大学院人間科学研究科博士課程後期課程。研究テーマは男性の性被害。臨床心理士、公認心理師。

西岡真由美(にしおか まゆみ)
1976年、佐賀県生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程研究指導認定退学。臨床心理士、公認心理師、看護師、保健師。

Book Bang編集部
2024年9月2日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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