「この人だったら…」男性から被害を打ち明けられるということ
男性の性暴力被害者自身が自分の体験を性暴力だと定義し、人に話したり助けを求めたりするのは大変ハードルの高い行為です。たとえ被害者自身が性暴力だと感じられたとしても、「男性である自分が被害を受けたと言っても、信じてもらえるだろうか」「どうして逃げられなかったのかなど、さらに傷つくようなことを言われないだろうか」、あるいはもし被害者が異性愛者であった場合は「同性愛者だと思われないだろうか」という疑問が拭えず、苦しくても誰にも言えない、ということが起こりやすいように思います(同性愛者と見られることを恐れるのは、社会に同性愛に対する偏見があるからで、そのこと自体がまた同性愛者の人々の生きづらさを作り出しています)。
男性が性暴力被害を打ち明けるというのは、いわゆる「男らしさ」に逆行するような行為でもあると考えられます。打ち明けるという行為は、被害のショックに加えてそのようなためらいや葛藤を乗り越えた末に可能になることです。打ち明ける人は、「この人だったら、聞いてくれるかもしれない」と、聞いてくれる人を信じて打ち明けているでしょう。ですので、打ち明けられた人は、まずはしっかり聞き、話されたことを信じ、いったん話が終わったら「教えてくれてありがとう」「本当に大変なことだったね」など、打ち明けてくれたことや信じてもらえたことへの感謝を伝え、相手に心を寄せていることが伝わるような言葉がけをするのが肝要かと思います。
被害者を責めることは「血の止まらない傷口に塩を塗る」こと
また、被害当事者がさまざまな理由で自分を責めることがあります。例えば、「どうして自分は嫌だと言えなかったのか」「どうしてあの場面で抵抗できなかったのか」「身体が反応してしまったのは、自分も望んでいたのかもしれない」等々、自分の中でぐるぐるとそのような考えがめぐり、自分のつらさを率直に伝えにくく、誰かに話したとしても、そのような考えに囚われ続けることもあります。ここまで何度も書いてきたことですが、
性暴力の責任は加害者にあります。しかし被害者にとってあまりにも受け入れがたい出来事であるがゆえに、何とか自分の力でどうにかできなかったものか、後から何度も何度も考えることがあります。
そのように考えることは、自分自身の物事に対するコントロールを確かめることでもあるように思います。被害を聞いた側もその事実を受け入れがたく、手っ取り早く何が悪かったのかを定めることで無意識のうちに予測可能な日常に戻ろうと、被害者の落ち度を責める人もいます。特に被害者が男性であれば、なおさらその傾向があるかもしれません。
しかし、被害当事者は、打ち明けるまで、おそらく100回も200回もそのことを考えたと思います。その上さらに周囲の人から責められるのは、血の止まらない傷口に塩を塗られるような状況です。このことは、セカンドレイプや二次被害とも呼ばれますが、被害者によっては、被害そのものよりも二次被害のほうがつらかった、という人もいます。どのような状況にせよ、同意のない・対等な関係ではない中で性的な行為を強要するのは、性暴力であり、それを意図的に行った加害者に責任があります。ですので、被害のことを打ち明けられたときは、決して被害者を責めず、「あなたは悪くない」と伝えることが大事なのではないかと考えます。
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