「心臓の手術」をするはずが別人と間違われ「肺の手術」をされた衝撃の理由とは? 『間違い学』試し読み

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 認知心理学の研究者・松尾太加志さんが、人がミスをする状況とメカニズム、それに気づかせるしくみ作りを学術的に解き明かした新書『間違い学―「ゼロリスク」と「レジリエンス」―』(新潮社)が刊行された。

 入院時に名入りのリストバンドが付けられる、手術・検査時にはフルネームを尋ねられたり、書類の個人名確認を求められる……病院でこうした本人確認が徹底されるようになって久しい。

 実はかつて起こった患者取り違え事故からの教訓で、こうした対策が厳重に行われるようになった。著者はこの事故の調査結果を検証し、小さな人為的ミス=ヒューマンエラーが偶発的に重なり、かつ事故に発展するまで誰も間違いに気づかなかった状況を説明する。

 もとより生身の人間が関わる以上、ミスを100%防ぐことは不可能。だから極力防ぐ、起きても気づかせる、さらに重大事故につなげないことが大切。当たり前のようだが、無意識中に起こる間違いにとっさに気づいて対応するのはなかなか難しいことだ。

 人が判断・行動を間違ってミスをする状況とメカニズム、それに気づかせるしくみ作りを学術的に解き明かす本書から、実際の患者取り違え事故の事例検証を公開する。

 ***

 ヒューマンエラーとは何かといったことから始めてもいいのだが、具体的な話から入ったほうがイメージがわきやすいので、ひとつの事例をもとに話を始めたい。
 ひとたびエラーが生じると大きな事故を引き起こしてしまうことが少なくない。とくに大きな問題となりやすい医療の場面をここでは取り上げる。医療では薬品の間違いがかなり多い。異なった薬の投与、投与量の間違いなど、それらのほとんどが、いわゆるヒューマンエラーである(薬の間違いの事例は後の章でも紹介する)。
 医療での間違いは人命を脅かすことにもなりかねない。治療によって病気などを治すことを目的としているのに、逆に体に悪影響をもたらしてしまうことは医療者にとっても患者やその家族にとってもつらいものである。そして、ヒューマンエラーとして決して少なくないのが、人(患者)の取り違えである。

手術で患者を取り違えた事故

 ここで取り上げる事例は、日本で医療安全への取り組みのきっかけになったと言われる医療事故である。患者さんを間違え、異なった手術をしてしまったという衝撃的な事故であり、知っている方も多いであろう。この医療事故は、ヒューマンエラーについて考えるのに適した事例でもある。
 1999年にY病院で起こった。心臓の手術を予定していたAさんと肺の手術を予定していたBさんがちょうど同じ時間に手術室に運ばれることになったのだが、2人の患者さんが取り違えられてしまった。本来心臓の手術をすべき心疾患のあるAさんが、Bさんが行くはずの手術室に連れていかれて肺の手術をされ、本来肺の手術をすべきだった肺疾患のBさんがAさんに用意された手術室に連れていかれて心臓の手術をされてしまったのである。
 事故報告書(詳細がウェブ上に掲載されていたが、現在は簡単な内容の掲載となっている)をもとに、当時の状況を振り返ってみたい。ただし、複雑なところもあったため、少し簡略化させてもらって説明することをご容赦願いたい。

●違う患者さんに声かけ
 その日、午前9時から2人の患者さんの手術が予定されていた。
 Aさん、Bさんはそれぞれストレッチャーに載せられ、看護師のCさんがひとりで2人のストレッチャーを押して、手術室交換ホールに向かった。このホールで手術担当の看護師に患者さんを引き渡し、各手術室に向かうことになっている。
「Bさん、おはようございます」
 声をかけたのは、このホールで受け渡しを担当する看護師Dさん。ただ、声をかけたのはBさんに対してではなく、Aさんだったのだ。ここで、第一の間違いの引き金が引かれた。
「Bさん、眠れましたか?」
 さらにD看護師は声をかけた。
「Bさん」と声をかけられたAさんは「はい」と答えた。Bさん担当の手術室の看護師が2人いたが、このような状況を見て、目の前の患者さん(実はAさん)をBさんだと思ってしまった。
 手術室の看護師は、患者のAさんともBさんとも面識がなかったので、この状況でそう思うのは当然であった。こうしてAさんは、間違われてBさんの手術が行われる手術室に連れていかれた。
 Aさんと同時にストレッチャーでホールまで連れてこられていたBさんは、まだホールで待っていた。Aさん担当の手術室の看護師も2人いたが、2人とも、待っていたBさんがAさんだと思っている。手術室担当看護師は面識がないのだから当然だ。
「Aさん、寒くないですか?」
 手術担当の看護師が声をかけた。
「暑くはないねぇ」と答えたのはBさん。「Aさん」と呼びかけられたのだが、それを否定することなく、会話が流れた。こうして、BさんがAさんの入るはずだった手術室に連れていかれた。

●何が問題だった?
 このあと、手術室でどうなったか気になるところであるが、とりあえず、ここまでで整理しておきたい。
 患者を取り違えるということは、ヒューマンエラーである。ここで何が問題であったかを考えなければならない。誰が悪かったとかいう責任問題ではない。なぜ事態が防げなかったのかである。ヒューマンエラーというのは必ず生じてしまう。それは人間だから仕方がない。防止のために、どこに問題があって、その問題を解決するにはどうすればいいのかという課題を抽出することが大事になる。
 この事例の場合、引き受け担当の看護師Dさんが、最初に患者のAさんをBさんと間違えて声をかけてしまったことが問題の発端だった。声かけに相手が「はい」と答えたから、思い込んでしまったのである。ヒューマンエラーではよく出る「思い込み」だ。看護師Dさんがもっとしっかりして、注意深くしておけばよかったのにと思ってしまう。しかし、ここでDさんを責めてはいけない。もし同じ立場にあなたが立ったときに、同じ間違いをしてしまう可能性は否定できない。誰でも間違う可能性はあるのだ。
 このとき本人は誤っていることに気づいていない。気づけないのである。

 これまでの状況の中での問題点をもう少し考えておこう。
 発端となったDさんの間違いの後、ほかの誰も間違いに気づけなかった。なぜ気づけなかったのか。本人かどうかを確認するやり方がまずかったのではないか。
 先に記述したように、看護師Dさんは、患者さんには声かけをしている。「Bさん、おはようございます。Bさん、眠れましたか?」と声をかけられたのはAさんだが、自分とは違う名前を呼ばれたのにもかかわらず、「はい」と答えて、自分はBではないと否定していない。一方、「Aさん、寒くないですか?」と声をかけられたBさんも自分とは違う名前を呼ばれたのに、スルーしてしまっている。
 せっかく声かけをしているのだから、それが患者さんの確認になっていればよかった。確認のしかたがまずかったのではないか。「〇〇さん」と声をかけられたほうは、自分が呼ばれるという構えがあるから、本当の名前とちょっと違うように聞こえたとしても、なかなか「違う」とは言わないし、言えない。
 このような状況は確認が十分だったとは言えないだろう。最近は、病院で医師も看護師も「フルネームで名乗ってください」と患者さんにお願いをする。自分から自分の名前を言えば、間違うことはない。確認方法としてはかなり確実である。しかし、ここで紹介している事故事例は1999年の出来事である。当時は患者さんにフルネームで名乗ってもらうという確認方法はあまりとられていなかった。実は、この事例がきっかけとなって、その後、患者さんにフルネームで名乗ってもらうことが広まったのである。

●受け渡しは適切だったのか?
 すでに気になっていると思うが、最初に看護師のCさんが同時に2人の患者さんをストレッチャーで押してきたということも問題ではなかったか。1人の看護師が1人の患者さんのストレッチャーを押していくという形をとっておけばよかった。確かにその通りである。同時刻の手術だったとか、人員配置が十分でなかったとか、いろいろな背景要因があったのかもしれないが、効率よく手術室に患者さんを運ぶために行ったことが問題であったと考えられる。
 手術室には患者さんだけが入るのではなく、カルテも渡される。カルテがストレッチャーと一緒だったら、気づいたかもしれない。確かに手術室交換ホールまでは、カルテと患者さんが一緒だった。ストレッチャーの下の籠に入れられていた。ところが、この病院では、手術室には患者さんとカルテは別々に渡される。ストレッチャーの出入口とは別にカルテ受け渡し台というのがあったのだ。
 患者さんが手術室に連れていかれたあと、ストレッチャーを押してきた看護師Cさんがカルテ受け渡し台で、AさんとBさんのそれぞれの手術担当の看護師にカルテを引き渡した。つまり、カルテは正しい手術室に運ばれて、患者さんだけが取り違えられたのである。
 実は、このとき、手がかりになることが申し送られていた。心疾患のAさんの背中にはフランドルテープが貼ってあることが手術担当の看護師に伝えられていた。フランドルテープというのは、血管を広げて血流をよくする白い四角の貼り薬で、イメージとしては、湿布薬のような形状だと考えればよい。このテープが貼ってあるということは心疾患の患者さんだという手がかりになるのだ。
 手術室ではどうだったのだろう。Bさんが肺の手術を受ける予定の手術室には、Aさんが手術台に寝かされていた。麻酔科医は、患者さんの背中に白いテープが貼ってあるのに気づき、それが何のテープかわからないまま剥がしてしまった。テープが貼ってあることは邪魔であったのだろう。このときに、このテープがフランドルテープであり、心疾患の患者さんが貼るテープだという認識があれば、目の前にいる患者さんはBさんではないと気づいたかもしれない。
 けれども、エラーが起きたときに「もしも、あのとき……」と考えるのはあまりよくない。気づかなかったことがあっても、それはその場面では必然であったと考えなければならない。ただ、あえて、少しここで考えておきたい。実は、この麻酔科医は研修医であって、フランドルテープのことを知らなかったようである。知識があれば、気づいたかもしれない。

●手術室で気づかなかったのか?
 手術室には医師や看護師が大勢いる。その中の誰か1人でも気づけば防げたはずである。手術室でも医師や看護師が声かけをしている。それぞれの手術室では、Aさんに対して「Bさん」と、Bさんに対して「Aさん」と声かけをしているが、2人の患者さんとも、違う名前が呼ばれても否定することはなかった。
 ただし、Aさんが手術を受ける予定の手術室では、麻酔科医が、Aさんと違うのではないかと疑いを持っていた。麻酔科医は手術の前にAさんを訪れていて、顔が違うとの印象を持っていたようだ。さらに、手術室で心機能を測定すると、心臓の手術をする予定の患者であるにもかかわらず、改善が見られたのである。そこで、念のため病棟に確認をした。
「Aさんの手術をしている手術室の者です。医師が顔が違うと言っているんですが、Aさんは降りていますか」と手術室の看護師が病棟看護師に問い合わせた。
「確かに、Aさんは降りています」という返事だった。Aさんが降りているということは、眼前にいるのはやっぱりAさんなのかということになった。心機能の改善も、麻酔のために生じる可能性もあると考えられた。
 後になってみれば、Aさんが降りてきているというだけで確認できたと考えるのは十分ではなく、眼前にいる患者さんが誰なのかを別の方法で確認すべきであった。
 結果的にそのまま手術をしてしまった。
 肺の手術の予定であったBさんに対して、心臓の手術をしてしまったのである。そして、心臓の手術予定のAさんには肺の手術がなされてしまった。
 手術後、集中治療室に2人が移されたのが午後4時頃であった。そこでAさんと思われているBさんの体重が測定され、その結果を見たAさんの主治医が、見込んでいた体重と異なることを不審に思った。
 集中治療室の医師は、患者が入れ替わっているのではないかと思い、隣りのベッドの患者さん(実はAさん)に「Bさん」と呼びかけたところ、「はい」と返事が返ってきた。続けて「お名前は何ですか?」と聞いたところ、「Aです」との答えが返ってきた。ここではじめて患者が入れ替わっていたことに気づいたのである。

複数のエラーが生じて事故に至る

 ここで紹介した事例は特殊な事例のように感じる。確かに患者を取り違えて異なった手術をしてしまうようなことは滅多に生じるものではない。しかし、ここで生じたエラーは個別には特殊なことではなく、どのような場面でも生じうる。ただし、その結果、本来とは別の手術をしてしまったということでセンセーショナルに報道等にも取り上げられた。ここで大事なことは、一つ一つはどこにでも起こりうるエラーが、複数重なって生じたことによって、大きな事故になってしまったということである。
 私たちの判断や行動は完璧ではないし、利用している機器やシステムも完璧ではない。どこかに必ず穴がある。小さなミスはいつも起こっている。仕事を例にしても、ひとつの行動だけで終わりではなく、一連の行動の流れで完結する。その個々の行動場面ではミスをする可能性を常に秘めている。ただし、どこかの場面でミスに気づけば事故に至らない。手術室交換ホールで間違っても、手術室で気づけば間違った手術は防ぐことができた。
 言い換えると、事故になった事例というのは、複数の場面でヒューマンエラーが重なってしまって、誰も気づかないままになった場合である。

どうすべきだったか

 このような事故が起こらないように、どうすべきだったのか。繰り返すがヒューマンエラーを完全になくすことはできない。だからエラーが生じても事故に至らないようにすることを考えなければならない。
 通常はどこかでエラーが生じても、それはリカバリーされることが多い。交換ホールで患者を間違えても、手術室で気づけば大事には至らなかった。気づく手がかり、気づく行動がいくつもあったのに、それらがすべてうまくいかなかったがために事故になってしまった。
 この事例では、明確な患者確認を行っていない。看護師や医師が患者さんに声かけをする場面が何度もあったが、会話の中の一部で患者さんの名前を呼んでいるだけであって、確認を目的としたものではなかった。確認をしっかり行うことが必要である。
 ただし、会話の中で「Aさん」と呼びかけられても、Bさんは名前が違うと否定しておらず、口頭の確認だけで「しっかり確認」を求めることは難しいのである。

●確認しやすい工夫を
「しっかり確認」を個人の努力に求めるのではなく、確認しやすいようなしくみを作ることが望まれる。そのひとつの方法がリストバンドである。入院する患者さんに氏名が書かれたリストバンドをしてもらえば、目視で確認はすぐできる。
 さらに、現在行われているように、患者さん自らフルネームを名乗ってもらうことでより確実に確認ができる。この事故で患者の入れ替わりに気づいたのが術後の集中治療室であったが、自ら名乗ってもらってはじめて気づいたのである。
 また、手術室の医療スタッフの多くは患者さんのことをほとんど知らなかった。患者さんのことを知っていれば、目の前にいる患者が当該の患者でないことに気づいたはずである。麻酔開始前に主治医と執刀医が患者確認を行うことが多いが、この病院ではそのことがルール化されていなかった。主治医は手術室に遅れて入室したのである。
 一方、執刀医は手術時が初見であったそうである。事前に患者さんに手術の説明をする決まりになっていなかったようである。事前に手術の説明を行って顔を合わせていれば、患者が別人であることに気づいたはずである。
 また、心疾患のAさんに貼られていたフランドルテープについて麻酔科医が知っていれば、患者の取り違えに気づいたかもしれない。知識や技術を身に付けることは仕事であれば当然のことである。しかし、たとえ仕事の場面であっても、最初は誰もが新人であるし、広範囲の知識やスキルを誰もが身に付けられるわけではない。
 したがって、知識やスキルがなくても正しい判断や行動ができるようなしくみを作ることが大事である。フランドルテープについては、この事故の発生後、メーカーが改善をしてくれた。単なる白いテープであったものが、心臓のマークと製品名が表示されるようになり、知識がない人でも何のテープであるのかわかるようになった。

以上は本編の一部です。詳細・続きは書籍にて

松尾太加志
1958(昭和33)年生まれ。九州大学大学院文学研究科心理学専攻、博士(心理学)。北九州市立大学特任教授(前学長)。著書に『コミュニケーションの心理学  認知心理学・社会心理学・認知工学からのアプローチ』(ナカニシヤ出版)など。

新潮社
2024年8月20日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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株式会社新潮社のご案内

1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「週刊新潮」「新潮」「芸術新潮」「nicola」「ニコ☆プチ」「ENGINE」などの雑誌も手掛けている。

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