山の斜面から滑落し、肋骨を骨折しても「絶対に見たい虫」とは…? 精鋭集団を追った『オオクワガタに人生を懸けた男たち』試し読み

試し読み

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 野生のオオクワガタを長年追い求めてきた、プロカメラマンの野澤亘伸さん。

 素人が出会うには「10年かかる」と言われるほどの難易度に苦戦した野澤さんが、昆虫専門誌の編集長から紹介されたのは「インフィニティー∞ブラック」なる集団だった――。

 インフィニティーのメンバーらは、斜面から滑落して肋骨を折っても、車を廃車にしても、熊に遭遇しても、全国を駆けずり回ってオオクワガタを探し続けるまさに“精鋭たち”だ。

 人を惹きつけてやまないオオクワガタの魅力と、インフィニティーのメンバーから語られるどの図鑑や論文にも載っていないような一級品の知識を野澤さんがまとめた『オオクワガタに人生を懸けた男たち』(双葉社)より、冒頭を特別公開します。

***

 たかが虫採りという勿(なか)れ。

 とんでもない凄腕のクワガタ・ハンターたちがいるらしい――。そんな噂が耳に入ってきた。マタギのような脚力で尾根から尾根へと移動し、人も通わぬ山奥に入っていく。人間離れした嗅覚をもち、真夜中でもスルスルと木に登る。熊どころか心霊現象にも怯(ひる)まない。ときにはヒマラヤのハニー・ハンターばりに、数十メートルの崖の上にも挑む。滑落して肋骨を折っても、妻に怒られるのが怖くて黙っていたという。

 都市伝説みたいな話だが、この男たちは実在する。そして驚いたことに、彼らは苦労の末に見つけた“獲物”を、「採ることが目的ではない」と言うのだ。虫を売ってお金に変える気はさらさらない。

 カリスマリーダーが束ねる集団名は「INFINITY∞BLACKインフィニティーブラック)」。仲間内には掟(おきて)が存在し、裏切った者は破門となる。なんだか物々しい連中を想像してしまうが、素顔は虫好きなオッサンたちの集まりだ。ただ、彼らは常人には見ることのできない景色を知っている。

 メンバーが探し求めるものはただ一つ。昭和の少年が憧れ続けた日本昆虫界のトップスター、オオクワガタだ。

「え? それってホームセンターに2000円で売っている虫でしょ?」

 と言うのはやめてくれ。確かに今では飼育で増えて、“王様”も安価になってしまった。だがここで取り上げるのは、真の天然オオクワガタのことである。昭和の時代、それは“黒いダイヤモンド”と呼ばれ、庶民には手の届かない存在だった。都会では虫好きな少年たちが、高級デパートの伊勢丹に置かれたケースを張り付くように見つめていたという。当時の値段でも、小さなものが数万円、大きなものは10 万円を超えるのが相場だった。筆者のような地方住まいの者には、王様の顔を拝むことさえできなかったのである。

野澤亘伸(のざわ・ひろのぶ)
1968年栃木県生まれ。写真家、作家。上智大学法学部卒業後、1993年より写真週刊誌『FLASH』の専属カメラマンになる。おもに事件報道、芸能スクープ、スポーツなどを担当。同誌の年間スクープ賞を3度受賞。その後フリーとなり、雑誌表紙やグラビア、タレント写真集など多数撮影。2019年に『師弟 棋士たち 魂の伝承』(光文社)で第31回将棋ペンクラブ大賞受賞。その他の著書に『美しすぎるカブトムシ図鑑』(小社)、『絆─ 棋士たち 師弟の物語』(マイナビ出版)などがある。『BE-KUWA』(むし社)で「虫のためなら、どこへでも!」連載中。

Book Bang編集部
2024年8月7日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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