「棺桶を背負って行け」腹が異常に膨張し、全身が黄色くなって死に至る…謎の奇病「日本住血吸虫症」に迫る 『死の貝 日本住血吸虫症との闘い』試し読み

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 腹に水がたまって妊婦のように膨らみ、やがて動けなくなって死に至る……「日本住血吸虫症」と呼ばれる病との闘いを記録したノンフィクション作品『死の貝 日本住血吸虫症との闘い』(新潮社)が話題だ。

 この病は「地方病」とも呼ばれ、地方病について書かれたWikipedia記事はそのおもしろさ、読みごたえから「Wikipedia3大文学」の一つと称されている。

 古来より日本各地で発生した「謎の病」と闘った人々の記録が綴られ、Wikipediaの「地方病(日本住血吸虫症)」記事の主要参考文にもなっている本作の第一章の冒頭の一部を公開する。

第1章 死体解剖御願

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 山梨県の甲府盆地は、南に霊峰の富士山、東に大菩薩峠の雄大な山系、西には甲斐駒、標高三〇〇〇メートルの峰々が連なる南アルプスと、秀峰が屏風のように屹立して三方面を取り囲む。
 山々の雪溶け水や湧き水は、甲武信岳及び国師ケ岳から南西に流れる笛吹川と、長野県境から南に流れる釜無川に入り、甲府盆地を縫うようにゆっくりと、ところによっては激流となって、日本三急流のひとつである富士川に合流して太平洋の澎湃(ほうはい)となる。
 豊かな温泉と果樹の恵みに溢れた豊饒なる甲府盆地は日本屈指の保養地でもあるが、古来より農民を中心に「水腫脹満(すいしゅちょうまん)」とよばれる原因不明の病に蝕まれてきた。
 水腫は水膨れ、腹に水がたまるところの意から名付けられたらしい。
 老若男女を問わず、水腫脹満に冒された者すべてがあの世行きになるわけではない。
 だが、太鼓腹となって全身の皮膚が黄色くなり、痩せ細り、介助なしで動けなくなったら、確実に死ぬことを甲斐の人々は幼い頃から見聞きしてきた。
 甲斐の人々は、この奇怪な病に冒された者を、
『水腫脹満 茶碗のかけら』
 とよんだ。つまり、
「水腫脹満となった者は、茶碗のかけらとまったく同じ。何の役にも立ちゃしない」
 という意味だ。
 いつ頃からこんな病気があったのかは定かではないが、江戸時代の前から甲斐国にあったことは江戸時代の初期に著された『甲陽軍鑑』からも窺える。品(章)五十九よりなる『甲陽軍鑑』は、甲州流軍学、いわゆる武田流軍学の指南書で、本邦随一の兵書として評判を取る。
 肝心の一説は以下の品第五十七に見られる。

『次に小幡豊後守善光寺前にて土屋惣蔵を奏者に憑、御目見え仕、豊後巳の年霜月より煩積聚ノ脹満なれ共、籠輿に乗今生の御暇乞と申。勝頼公御涙を流され、か様に時節到来の時、其方なども病中是非に及ばず候そうろうと仰下さるゝ』

 天正十(一五八二)年三月、武田軍は滅亡に瀕し、三月三日、勝頼は府中を捨て岩殿城に向かう。この折、甲斐善光寺の前で小幡豊後守が駕籠(かご)に乗って、今生の暇乞いを申し出た。豊後自身は足軽大将ゆえに勝頼に直接、言葉を交わせる身分ではなく、豊後の世話をする者が勝頼の側近である土屋惣蔵に仲介を依頼した。豊後は昨年の十一月より、積聚(腹部)が膨れ上がっていた。最後まで殿の供をするのが武士の務めではあるが、もはや歩けない。勝頼は豊後の姿を見て、その気持ちだけで十分であるぞ、と涙を流していたわった。
 これが水腫脹満を記録した最古の文献と考えられている。
 三月十一日、勝頼は自刃して果て武田氏は滅ぶ。豊後は勝頼に謁見した三日後に死んだ。ちなみに『甲陽軍鑑』の編著者の一人は、豊後の三男の小幡勘兵衛景憲である。

 文献はないものの、甲府盆地では、江戸時代の初期には、薬草や動物の骨肉を煎じてつくった「水腫脹満の妙薬」なる民間薬が多種売られていた、との言い伝えがある。
 水腫脹満に冒された人々は何とか金を工面して、すがりつくおもいで、妙薬に飛びついた。飲むと爽快感を得たり、便通が一時的によくなる効果はあるものの、治るには至らない。農民に多く見られるため、川や水田の水、畑の土に原因があると考えられたが、はっきりとした原因がわからず、なすがままに苦しみと死の恐怖を味わうしかなかった。
 江戸時代の後期になると、妙薬の販売はさらに盛んとなる。
『水腫脹満 茶碗のかけら』
 の他に、甲府盆地の人々のあいだで、
『中の割に嫁に行くには 買ってやるぞや 経帷子(きょうかたびら)に棺桶』
『竜地 団子に嫁に行くには 棺桶を背負って行け』
『嫁には嫌よ 野牛島は 能蔵池の葦水飲む辛さよ』
 といった口碑が、あたかも民謡や俗謡のごとく、人々の口から出るようになった。
 腹っぱり、という呼び名もあった水腫脹満への恐れ、猖獗を極める土地に嫁いで行く娘たちの悲運をこれらは表現している。中の割、竜地、団子、野牛島とはいずれも、釜無川の流域にある実在の集落である。現在、中の割は韮崎市大草町下条中割、竜地は甲斐市竜地、団子は竜地と四キロほどの距離にある甲斐市団子新居、野牛島は南アルプス市野牛島にあたる。
 能蔵池は野牛島集落にある東西一一七メートル、南北三六メートルにわたるため池で、池の周囲を葦がびっしりと覆っていた。能蔵池の水には毒があり、それを飲料水にしているから、水腫脹満になる、といわれていた。
 野牛島では遠くから来る嫁ばかりでなく、地元の者にはこんな口碑があった。
『故郷でも嫌だ 野牛島の能蔵池 葦水飲む辛さよ』
 古き時代より、散々、甲府盆地の人々を苦しめてきた、この奇病。歴史を繙(ひもと)いてゆくと、意外や意外、水腫脹満に似た奇病が、日本全国、点々と浮かび上がってくるのである。

以上は本編の一部です。詳細・続きは書籍にて

小林照幸
1968(昭和43)年、長野県生れ。ノンフィクション作家。1992(平成4)年に『毒蛇(どくへび)』で第1回開高健賞奨励賞、1999年に『朱鷺(トキ)の遺言』で第30回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。信州大学卒。明治薬科大学非常勤講師。著書に『パンデミック 感染爆発から生き残るために』『大相撲仕度部屋 床山の見た横綱たち』『熟年性革命報告』『ひめゆり 沖縄からのメッセージ』『全盲の弁護士 竹下義樹』『車いす犬ラッキー 捨てられた命と生きる』など多数。

新潮社
2024年7月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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株式会社新潮社のご案内

1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「週刊新潮」「新潮」「芸術新潮」「nicola」「ニコ☆プチ」「ENGINE」などの雑誌も手掛けている。

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