上智大退学のラランド・ニシダが単位を落とされても髭面教授に感謝した理由 二十歳で前触れなく巡り合った小説『百年の孤独』の影響力
エッセイ・コラム
文庫化で話題のガルシア=マルケスの長編小説『百年の孤独』に魅了されたお笑い芸人がいる。上智大学を中退している「ラランド」のニシダさんだ。
外国語学部イスパニア語学科に通っていた二十歳の頃、教鞭をとっていた髭面の教授から薦められたことが、『百年の孤独』との出会いだったという。
結果的に髭面教授の単位を落として退学処分になってしまうのだが、やり場のない不満より、感謝する気持ちが強かったとニシダさんに思わせた『百年の孤独』の魅力とはなんなのか?
文芸誌「新潮」(2024年8月号)の特集「『百年の孤独』と出会い直す」にて、池澤夏樹さんや菊地成孔さん、古川日出男さん、高瀬隼子さんなどの作家陣が寄稿する中で、唯一お笑い芸人として名を連ねたニシダさんのエッセイを紹介する。
ラランド・ニシダ「現実離れのリアリティー」
『百年の孤独』。初めて読んだのは二十歳のとき。わたしは上智大学の外国語学部イスパニア語学科というところに通っていた。この学部に通っているなら『百年の孤独』と『ドン・キホーテ』は読むべき。ラテンアメリカ経済を専門にする恰幅の良い髭面の教授がそう言った。授業の合間、前触れなく発されたアイスブレイク的な話題だった。
学内の書店に『百年の孤独』を探しに行ったが、一冊三千円には簡単に手が出せず、その足で図書館に向かった。貸出期間の二週間を大幅に巻いて二日で読み切り、返却してすぐに本屋に買いに行った。手元に置いておきたいと思ったのだ。あの髭面教授にわたしは大いに感謝している。その学期末に髭面教授の単位を落とし、その結果わたしは一年後に退学処分となった。それでも感謝の方が若干勝っている。
文庫化にあたって、どんな切り口でも良いのでエッセイを書いて欲しいという依頼を受けて、わたしは本当に困ってしまった。
『百年の孤独』はたしかに好きな一冊である。しかし、その面白さを一度も上手く言葉に出来たことがない。そもそもどんな物語なのか要約することすら難しい。ブエンディアという一族、そしてマコンドという村の開闢と終焉の百年を描いた小説。多くのエピソードで構成され、どこが物語の本筋なのか。何を枝葉とするのか。判断がつかない。植民地支配や独立戦争、バナナのプランテーションなど史実に基づき、緊張感を伴う挿話。マジックリアリズムと呼ばれる常識や物理法則から解き放たれた奇譚。その二つが継ぎ目に違和感なく入り混じる。五回六回と読み返してきたが、『百年の孤独』の本質は何も理解できていないのではないかという不安が胸の内にあるのだ。
全体に対してわたしから説明できることはない。なので本文から一つの纏まった挿話を引きながら紹介したい。
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- 百年の孤独
- 価格:1,375円(税込)
伝染性の不眠症のエピソードがわたしは大好きだ。現実離れと現実が混ざり合っていて、『百年の孤独』を最もよく表しているように思うからである。そして尚且つ笑える。
その伝染性の不眠症は一度マコンドの村人に好意的に受け入れられる。寝る必要がなければたくさん働けるからだ。しかし、その不眠症は全く異なる真実を孕む。進行すると記憶が失われてしまうのだ。
一族の父であるホセ・アルカディオ・ブエンディアは先住民のでっち上げだと笑うが、村人たちにこの病は広がっていく。最初はみな働いていたが、村の仕事はすぐに終わり、時間を持て余し始める。
そしてついに記憶があやふやになりだす。息子のアウレリャノは物の名前が思い出せない。
父、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは策を講じる。机に“机”、扉に“扉”など、ものに名前を書き込んでいくのだ。しかし、それでは名前が分かるだけで用途を忘れてしまう。これにも有用な対抗策を見出した、ホセ・アルカディオ・ブエンディア。
彼が牝牛の首にぶら下げた次のような札は、マコンドの住民たちがどのように物忘れと戦おうとしたかを、もっともよく示すものだ。〈コレハ牝牛デアル。乳ヲ出サセルタメニハ毎朝シボラナケレバナラナイ。乳ハ煮沸シテこーひーニマゼ、みるくこーひーヲツクル〉。
現実離れした疫病に由来する生活上の問題が起きるたび一つひとつ対処していく。方法はまるでコメディー。グラフィティまみれのニューヨークの裏路地に似たマコンドの村が頭に浮かぶ。
この後、説明だけではなく、物の名前や人間の感情を記憶するためのキーワードが書かれていくのだが、終わりは予想外の角度からやってくる。
〈しかし、このやり方は大へんな注意力と精神力を要するので、多くの者が、それほど実際的ではないがより力強い、自分ででっちあげた架空の現実の誘惑に屈してしまった。〉
この一文がわたしは大好きだ。現実離れした病状を突き詰めていった結果、人間の本質に立ち返るような帰結。空想を描いていった結果、想像に難くないリアリティーに戻ってくる。村人はトランプ占いに頼り、不確実を生きることになる。ともすれば現実に向き合って生きる現代人が陥ってもおかしくない自己欺瞞。我々が陰謀論にほだされるのとあまり変わらない。
そして、この病は結局、死んだと思われていたジプシーのメルキアデスが村を訪れたことで呆気なく解決する。彼は死の世界にいたが、孤独に耐えきれずこの世に甦ったらしい。
この一連のエピソードにわたしが『百年の孤独』が好きな理由が詰まっているような気がする。
道理の通らない不思議な現象はたくさん起こる。けれど、けして前衛文学や狂気じみた怪文書と見なされないのはリアリティーにそれと同じだけの凄みが含まれているからだ。それが、二十歳のわたしを魅了した一番の理由に思われる。
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