西加奈子の衝撃作がついに文庫化! 思春期から33歳になるまでの男同士の友情と成長を描いた『夜が明ける』試し読み

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 俺がアキに「それ」を告げることになったのは偶然だ。
 担任に呼ばれ(どういう用事だったかは記憶にない)、俺はその日職員室にいた。担任は生物の教師だった。次の授業の実験器具を運ぶ役を頼まれたのが、体の大きなアキだった。
 俺とアキを待たせておきながら、担任は他の教師とぺちゃくちゃ話していた。ふたりで放っておかれて、多分気づまりだったのだろう。俺はやむにやまれず、アキにこう話しかけたのだ。
「お前はアキ・マケライネンだよ!」
 多分俺は、まだアキを恐れていた。「取るに足らない奴」だと認識してはいても、アキの体が巨大であることに変わりはなかったし、3、4人殺してきた雰囲気だって健在だった。きっと俺は、思春期の男子が皆きっとそうするように、「ビビってないぜ」という態度を見せようとしたのだ。そして願わくば、ちょっと変わった奴、として認識してほしかったのだろう。
「お前はアキ・マケライネンだよ!」
 アキがマケライネンを知らないことは、もちろん承知の上だった、はずだ(知識を誇るのは俺の悪い癖だった。特に皆が知らない知識を)。アキは俺に突然話しかけられて驚いていた。というより、明らかにビビっていた。肩を震わせて、音が聞こえそうなほど、体を固くした。身長165センチの俺を明らかに見下ろす位置にいながら、アキはやっぱり、俺を見上げているみたいな顔をしていた。
「だ、だ、だ誰?」
 その上、アキはひどい吃音だった。そんなアキを見て、俺は安心したのだろう。「知らないんだったらいいよ、こっちの話」、そんな風に嘯く必要がなくなった。つまり、素直になれた。
「すげぇ面白い奴。どんなに悲しい状況でも、どんなに苦しい人生でも、マケライネンが演じたらとにかく笑えるんだ。なんていうか、生きる勇気がもらえるんだよ。」
 信じられないことに、俺はその日アキを家に誘ったらしい。『男たちの朝』を観にこないか、と。アキみたいな奴と話が弾むとは思えなかったし、得体の知れない人間を家に誘うような根性は、俺にはなかった。でもそう言ったらしいのだ。
 アキは日記に、こう書いている。
『家にさそってくれた。アルバイトがあったから断った。くやしい。すごく行きたかった。』

西加奈子
1977(昭和52)年、イランのテヘラン生れ。エジプトのカイロ、大阪で育つ。2004(平成16)年に『あおい』でデビュー。翌年、1匹の犬と5人の家族の暮らしを描いた『さくら』を発表、ベストセラーに。2007年『通天閣』で織田作之助賞、2013年『ふくわらい』で河合隼雄物語賞、2015年『サラバ!』で直木賞、2024(令和6)年『くもをさがす』で読売文学賞を受賞。その他の作品に『窓の魚』『きいろいゾウ』『きりこについて』『漁港の肉子ちゃん』『舞台』『i』『夜が明ける』『わたしに会いたい』など多数。

新潮社
2024年7月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「週刊新潮」「新潮」「芸術新潮」「nicola」「ニコ☆プチ」「ENGINE」などの雑誌も手掛けている。

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