『麻雀放浪記』以来の傑作…桁外れに強い大学生は勝負の果てに何を失い、何を得るのか? 『雀荘迎賓館最後の夜』試し読み

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「新たなる『麻雀放浪記』が遂に現れた!」と話題の一冊『雀荘迎賓館最後の夜』(新潮社)が刊行された。

 並外れた技量の打ち手が集まる雀荘「迎賓館」を舞台に、ひたすら麻雀を打ち込むことで、ようやく人の平衡を保つ男達を描いた本作。

 試し読みとして主な舞台となる「雀荘迎賓館」を描く冒頭部分を公開します。

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 相葉敏江は午後三時からの情報番組が始まると支度を始める。
 自宅ベランダに干した大量のハンドタオルを取り込み、これを一本ずつ丸めてオシボリの形に整形するのが最初の作業である。
 雀荘迎賓館はセット五卓とフリーが二卓、一日平均稼働率は二卓を下回る。雀荘が一日五卓以上も回転していたのは大昔で、二十代の麻雀人口が大きく世代陥没した八〇年代以降、客は減る一方だった。
 それでも客は顔に浮く脂を気にしてオシボリをマメに使うので、迎賓館の規模でアツシボ・ツメシボ合計一日約八十本が要る。毎日オシボリを洗い、干して準備するのは結構な手間で、この煩わしさを嫌ってレンタルにする雀荘は多いが、月二千本の発注だとウォーマー等のリース保証金を取られた上で毎月二万円近くの出費となる。
 雀荘は貸し席業であって基本的には場所代以外に収入が無い。飲食は幾らか売上の足しになるが原価が掛かって儲からず、アルコールも価格に通り相場があって利幅が少ない。出前一品毎に乗せるマージンは幾らでもなかった。どこの雀荘も売り上げは慢性的に下降しており、オシボリやお茶の無償サービスはできるだけ切り詰めたいのである。
 もっとも、敏江が貸しオシボリを選ばない理由は、時に雑菌臭が強いのが混じるからで、亡夫から店を継いで以来ずっと自分で洗濯し続けてきた。雀荘の女主人としてオシボリが臭いとは客に言わせない、との沽券もある。

 ごく薄く化粧し、髪をひっつめにして青物横丁の自宅を出るのが四時前。駅に向かう途中の商店街で酒の肴を買う。アルコールを注文した客に出す御愛想の品で、一袋三枚入り宇和島産じゃこ天が定番。炙って焦げ目をつけた一枚を四つに切って楊枝を刺し、醤油皿に乗せて出す。この、ちょっとした酒肴サービスは、もう旧い雀荘しか行わなくなったが、敏江はずっと続けてきている。
 オシボリ代を倹約する一方、酒肴の出費は矛盾しているのだが、客への気遣いを自ら失うような気がして敏江は一向止めない。今日も他にポテサラと、蕗と蒟蒻の煮物を買った。蕗も蒟蒻もフリー卓常連の志堂寺と笠置の好物で、総じて年配者は雀荘で「濡れた肴」が出ると喜ぶ。柿ピーは減らず、煮物の類はすぐ無くなっている。惣菜屋でいつも二人の顔が浮かぶのは、ほんの僅かな肴に相好を崩す男の無邪気を、敏江が微笑ましく思うからだった。
 田町駅の芝浦口、小さな商店街の外れに迎賓館はある。古いモルタルビルの二階ワンフロアで、入って左側にカウンター。カウンターを挟んで狭い方の二卓がフリー、広い方にセット用五卓が据えられている。
 商店街側の窓は、分厚い別珍の二重カーテンで灯りが漏れるのを防いでおり、反対側には運河に面した小さなベランダがあった。
 敏江が日課とする開店準備の大半は掃除である。営業時間中ほぼ密室の雀荘は、閉店後かなり臭気が残る。最近、天井据え付け型の空気清浄機を備える雀荘が増えたが、排除したいのは煙草臭だけではない。
 雀荘には、男達の脂が酸化し発酵したような独特の臭気があって、店を引き継いだ当初、こうまで臭うものかと敏江は閉口した。何軒か回って、掃除の行き届いていない雀荘ほど臭いが強いと分かり、以来毎日の開店前掃除に敏江は多くの時間を費やす。
 迎賓館は横に長いレイアウトで、両側の窓を開け放つと運河からの風が店内を横切って抜けていく。この時匂いだけでなく、店にどんより沈滞していた勝負事の「念」のようなものが一気に吹き払われていく気がして、敏江は清々しい。
 全卓のラシャ地を、コードレスの専用掃除機で吸い上げた後、雀卓の枠、点棒箱の中まで乾湿二種のダスターで拭き上げていく。敏江が特に卓の掃除を徹底するのは、電動卓がホコリと脂を嫌うからで、故障の原因はたいていこの二つなのだ。
 卓を終えたら次は床。リノリウムの床に毎日大量に出るコーヒー殻を撒き、湿った殻にホコリを吸着させた後、掃除機で吸い取る。その後、業務用洗剤を浸したモップで丁寧に拭う。敏江が店を引き継いだ時、床はパンチカーペットだったが、拭き掃除が徹底できないと、床全面をリノリウムに張り替えた。
 同じく臭いが染み付きやすいカーテンにも消臭スプレーをたっぷり振り掛け、ブラシで入念にはたく。年配客は多く靴を脱いで打つので、スリッパに抗菌スプレーを丁寧に吹き付けるのも忘れない。
 卓と床を終えると牌に取り掛かる。
 カウンターのケースから一卓二セット、七卓合計十四セットの牌を取り出し、極薄の洗剤液に浸して固く絞った専用布で一セットずつ拭き上げ、次に乾拭きで仕上げる。人の脂は相当にしぶといもので、管理の悪い店で長時間麻雀を打つと爪に黒い汚れが入るが、原因は四人分の手脂が牌に付着し、局を重ねるにつれどんどん増えていくからである。この目に見えない手脂を、敏江は神経質に拭っていく。敏江自身は麻雀を打たないけれど、百三十六牌を十七枚八列に並べ、六面体を六回に分けて拭き上げる手際はリズミカルだ。
 最後がカウンターで、火口三つの小さな厨房を磨いた後、業務用の大型蒸し器で持参のオシボリを蒸し始める。前夜の使用済みオシボリはレンジ下のバケツにオスバンSの希釈液を入れて漬け置きしてあり、これを運河に面したベランダの洗濯機で洗い始める。
 ゴミを出した後、コーヒーメーカーでその日一煎目のコーヒーを淹れ、初めて一息つく。ここまで約一時間半。この後、敏江は淹れ立てのコーヒーを飲みながらグラスを磨いて六時の開店に備える。開店と同時に流し始める有線は切ってあり、無音の店内でグラスを磨き続けるのが敏江の開店前ルーティンだった。

大慈多聞
長く広告業界に身をおいていた以外の詳細は非公表。現役当時のモットーは“less work,more money”. 本作が初の著書になる。

新潮社
2024年7月8日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「週刊新潮」「新潮」「芸術新潮」「nicola」「ニコ☆プチ」「ENGINE」などの雑誌も手掛けている。

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