『麻雀放浪記』以来の傑作…桁外れに強い大学生は勝負の果てに何を失い、何を得るのか? 『雀荘迎賓館最後の夜』試し読み

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 結城は初めて迎賓館を訪れた時、便利で居心地の良い場であると直感した。但し結城にとって雀荘はパチンコ店と同じで、あくまで勝負の場に過ぎず、客同士や店側と情の交流は想定もしていない。
 結城は中学から郷里のフリー雀荘に通い続け、あいつは狂ったと皆が呆れるくらい深く麻雀に傾倒して半荘キャッシュを打ち込んできていた。
 高三の夏は旅打ちまがいも経験し、大阪京都東京を巡って二ヵ月半打ち暮らしている。麻雀の深間にハマった経験量が同世代の学生とは比較にならないのだ。
 大学入学後もすぐに歌舞伎町のフリー雀荘三軒を選んで半年間打ちまくった。しかし盛り場の雀荘は神経がささくれて疲れる。
 職安通り裏の雀荘で結城が三連続マルAを決めた後の四回目、起家で親倍を引き上がった次局にトラブルは発生した。年配者が対面の携帯の音にクレームを付けたのである。
「どうせ電話には出ないんだろ。だったら電源切っといてくれや。バイブだって、ああ何度も鳴りゃ気が散るわ」
「うるさいですか?」
「か、たぁなんだよ。うるせぇから言ってんだろが。おまえ、喧嘩売ってんの?」
「そこまで言われるとなぁ。爺さん、一ぺん表に出ようか」
 そうやって二人で店を出て行ったきり戻らない。
 眺めていた店のマスターが言った。
「その前の半荘で、二人とも残り現金が淋しくなったんじゃねえかな。自分がトップ目に立てなきゃ、何とか理由付けてノーゲームにしたかったんだろう。
 兄ちゃんもカッパギ様が直線過ぎる。頭使わんで良いから、もちっと気を遣えや。万度一杯に追ってると、じき遊び相手が居らんようになるぞ。ラストの場代は負けとくから、今日はもう帰んな」
 歌舞伎町ではこうした剣呑な場面がしょっちゅうあって結城もウンザリしていた頃、先輩から誘われて迎賓館に辿り着いた。此処は諍いも無く落ち着いて打てる。フリー雀荘に似たシステムで面子には事欠かず、しかも全員が勝負事に緩い。

 結城は蔵前倶楽部を、食物連鎖の最底辺集団と見做していた。
 メンバーのIQは全員高い。しかし麻雀に関しては明らかに幼稚で、それ以前の問題として、博打に参加する最低限の成熟を満たしていないと結城は思う。子供が真剣でチャンバラをやっているようなものだ。
 結城にとって勝負事と賭け事にはハッキリと一線があった。勝負とは日常様々な機会で繰り返される多様な白黒である。恋愛も一種の勝負と言えるかもしれない。一方賭け事は、そうした勝負に金を賭けて楽しむ遊戯である。大切な金銭を賭ける事で、本来の興趣や興奮を倍加させる勝負の乗算、スパイスなのだ。
 ただ、この麻薬的な遊びを嗜むには、負けても平然と己を保つ訓練が要る。蔵前倶楽部メンバーにはこの前提が不足しており、麻雀をゲームで覚えてきた彼らには、博打の基本認識が備わっていなかった。
「こんなに負けるとは思ってなかったから」とぼやき、甚だしきは「ちゃんと払う以上多少文句をタレるのは権利だろ」等と、自分達の料簡違いに気付かない。
 結城はこうした未成熟を嗤って子供の集団と見下す。
 しかも蔵前倶楽部では毎年最上級生から幹事が選ばれ、花見や忘年会、スキーツアーまで開催されると聞き、結城は感心というより驚いた。しかし参加するつもりは毛頭無い。
 結城にとって麻雀は狩猟であり、同卓者は獲物であって猟師仲間ではなかったのだ。

 もう一点、結城が迎賓館について気付いたのは、フリー卓メンバーの風貌が意外に良い事だった。不定期グループの方は結城にすれば公園に屯する好々爺集団と変わらない。顔が良いと感じたのは金曜常盆のグループで、白髪の老人がリーダーらしく、他の二人も思索が表に顕れた味のある面相なのだった。
 結城は麻雀打ちの顔を見て、その技量をある程度想像する事ができる。稀に弱いと観た者が滅法強かった例外はあるにしても、強いと感じた者が弱かった例は無い。勝負事へのタフネスに満ちた所謂「バクチ焼けの顔」というものがあり、フリー卓の三人が将にそうなのだった。
 枯れ具合の良い長老、やんちゃが面に残る推定六十代、才気と反骨がハッキリ顔に出たおそらく五十代。三人とも、やたら濃い人の味が伝わって来る。
 唯一分からないのが黄緑の学校ジャージを着て打つもう一人で、風貌も身嗜みも彼だけ異質だった。しかし観察しているとジャージに三人が敬意を払っているのが明白で、ますますこの卓が不可思議に思える。
 どんな麻雀が打たれているのだろう。自分達とは何が違うのだろうか。

以上は本編の一部です。詳細・続きは書籍にて

大慈多聞
長く広告業界に身をおいていた以外の詳細は非公表。現役当時のモットーは“less work,more money”. 本作が初の著書になる。

新潮社
2024年7月8日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「週刊新潮」「新潮」「芸術新潮」「nicola」「ニコ☆プチ」「ENGINE」などの雑誌も手掛けている。

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