衣津実は、今日一日身にまとっていたブラウスとスカートを洗濯かごに入れた。
リビングに戻り、冷蔵庫から夫が飲んでいるのと同じ五百ミリリットルの缶ビールを取り出し、台所のシンクに片手を添えた格好で、立ったままタブを開ける。缶ビールを開ける時、泡が溢れてくるような気がして、彼女はいつも台所のシンクの前に立っているけれど、実際に泡がこぼれてしまったことはない。
なんでお風呂入らないの?
という問いかけを、喉の、唾を飲み込んだ時に音を立てる部分に待機させていたけれど、ソファに座るというよりも沈み込んでいるような夫を見ると、口に出すのがためらわれた。
排水口のネットに、さっき夫が流したカップ麺の具が溜まっている。明日は燃えるゴミの日。つい昨日もゴミ出しをしたような気がする。日々の早さをこんなところでも感じて、衣津実は鼻から息をもらす。三十五年も風呂に入ってきたんだから、数日入らないくらい、いいか。無理やり、そんな風に考えてみる。
喉にビールを流し込む。夫の隣に座り、夫の膝の上に置かれたパソコンの画面に視線を向ける。「映画みようよ」とすこし甘えた声色で言う彼女の鼻腔に、夫の体臭が届いた。それは嗅ぎなれた夫のにおいに違いないのだけれど、鼻の奥で一度空気の流れを止め、それから深々と息を吸い直して検分してしまうくらい、はっきりと濃かった。衣津実は気付かなかったことにして、「ホラーがいいな」と言いながら、夫の腕に自分の腕をからめた。
朝、夫はタオルを濡らして顔を拭き始めた。それも、目やにが取れたら満足という程度で、おでこや頬は一度なでるように触れただけだった。
洗面台の足元に、二リットル入りペットボトルのミネラルウォーターが置いてある。水道水ではなくて、ミネラルウォーターで顔を拭いているのだ、と驚く。外国じゃないんだから、と衣津実は数年前に夫と行ったカンボジアで、遺跡のある森を散策していて転んでしまった時に、傷口を飲み水用のミネラルウォーターですすいだことを思い出す。
「顔くらい、ちゃんと洗えば」
衣津実が声をかけたが、夫は彼女と合わせた目をわざとらしい仕草で逸らし、首を傾げて洗面台を離れて行った。今日こそ夫と話をしなければと思う。彼女も昨日の夜は風呂に入らずに眠ってしまったので、シャワーを浴びたところだった。やっぱり風呂に入らないと気持ち悪い。湯舟に浸からず、シャワーを浴びるだけでもすっきりする。それに、シャワーも浴びないで出勤する勇気が彼女にはない。風邪をひいていたって、家族以外の人と会うとなると、風呂に入らずにはいられない。
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