「私ね、東京の大学に興味があるんだ」
「東京の?」
初耳だ。彼女から東京の話を聞いたことなんて一度もない。
「地元を離れるのか?」
「うん。不安だけど」
「どうして東京なんかに?」
「日本の出版社のうち、四分の三は東京に集中してるんだよ。私が読んでる漫画はどれも東京で作られてる。出版関係の人はみんな、東京に住んでるんだよ」
「みんなかどうかはわからないけど、確かに、東京在住の人は多いだろうな。作品にもよく吉祥寺とか出てくるし」
吉祥寺が東京のどの辺にあるのかもよく知らないけれど。
「私はやっぱり漫画が好きだから、漫画に関わる仕事をしたい。東京に行った方が、そういう仕事ができるチャンスに出会える気がする。漫画家を目指してはいるけど、それがかなわなかったとしても、業界の端っこの方で暮らせるかもしれない」
彼女がノートに描いた四コマ漫画は、時折、読ませてもらっていた。もっと長い作品も描いているみたいだったが、そちらは読ませてもらったことがない。恥ずかしくて他人には見せられないらしい。彼女から聞き出したところによれば、異能力バトル漫画らしいが、詳細は不明だ。
それにしても不安だった。ユウナは注意力が散漫になることが多い。のどかな地域で暮らしていたから、幸運なことに車に轢かれなかっただけで、東京のような忙しい場所に解き放てば、無事では済まない。彼女は人の悪意に気づかず、だまされやすい傾向にある。東京なんか、道行く人は全員、詐欺師だと思った方がいい。
引き止めるべきだろうか。いや、俺にそんな権利はない。将来のことを何もかんがえていない俺よりも、未来を見据えている彼女の方が立派だ。彼女のやりたいことに、水を差すことなんか、してはならない。
「そうか……。じゃあ、俺も、行こうかな、東京……」
ひねり出した解答がそれだった。自分も東京の大学に進学すれば、ユウナがトラブルに見舞われた時、すぐに駆けつけることができる。さすがに過保護だろうか。それ以前に、気持ち悪いと思われるかもしれない。まるでストーカーじゃないか。しかしユウナは、明るい顔になる。
「それがいい! そうしようよ!」
もしかしたら彼女は、最初から俺を誘おうと思っていたのかもしれない。一緒に東京へ行かないかと。
「大地君も上京してくれるのなら心強いよ。絶対そうしよう。絶対だよ」
「あ、ああ、わかったよ」
東京には一回だけ行ったことがある。小学生の頃、親や親戚と観光旅行をしたのだ。だが、住むとなったら話は別だ。東京で生活するなんて、それまで想像したこともなかった。
「一緒に行こうね、東京の大学」
ユウナの笑顔に、俺はうなずきを返す。
それが彼女との最後の対話だった。
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