乙一の真骨頂! 感涙必至! 線香花火のように儚く、切なさ溢れる『一ノ瀬ユウナが浮いている』試し読み

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 高校二年生の夏休み、八月前半のある日のことだ。ユウナは駅前でのバイトを終えて自転車で帰路についていた。小雨が降るという天気予報が出ていたので彼女はレインコートを持っていた。しかし実際は小雨どころではない勢いの雨粒が降り注いだ。彼女は豪雨の中、田園地帯の道を自転車で走行していたらしい。
 路面を濁流のように雨水が流れる。おまけに突風まで吹きはじめる。農道沿いに深めの水路があり、ほとんどの場所は道と水路の境界にガードレールがあるのだが、所々にない区間があって、彼女はそこで道からそれてしまったらしい。雨で視界が悪く、道とそうでない部分の境界が見えなかったのだろう。あるいは突風にあおられてよろけたのかもしれない。水路はその時間、流れ込む雨水で濁流となっていた。
 帰ってこないユウナを心配して、両親が捜索をお願いした。やがて近所の人が、水路に落ちて引っかかっている彼女の自転車を発見する。さらに数時間後、今度は捜索隊の一人が彼女を見つけた。水路の先の遊水池にユウナは浮いていたという。

 ユウナと最後に会話をしたのは、彼女が死ぬ二日前の昼下がりだ。俺は自宅の庭にホースで水をまいていた。彼女は肩を出した涼しげな格好で縁側に腰掛け、祖母が用意してくれたスイカを食べている。
「花火をしたいな。今度、またみんなでやろうね」
 河川敷で花火を持ち寄って遊ぶのが、夏の恒例行事になっていた。
「そうだな。今年も花火をしよう」
「約束だよ」
 その約束は守られなかった。
 彼女が死んだからだ。
 しかし、その日の俺たちは、今年も来年も再来年も、みんなで花火ができるものだと思い込んでいた。愚かなことだけど。
 ユウナはスイカを堪能すると、立ち上がり、水のまかれた庭を歩き出す。植物の葉から滴る雫に、日差しが反射してかがやいていた。
「大地君は、高校を卒業したら、どうするの?」
「たぶん大学に行く」
「どこの?」
「さあ。俺でも入れそうなところ」
 高校二年生だ。そろそろ進路について決めなくてはならない。でも、俺は将来のことを明確には思い描いていなかった。なりたい職業もない。行きたい大学もない。どんな風に人生を送りたい、などとかんがえたこともない。他のみんなも、似たようなものだろう。十七歳の時点で、自分の未来を見据えている奴なんて少数なんじゃないだろうか。しかし、ユウナは違った。

乙一
1978年、福岡県生まれ。96年『夏と花火と私の死体』で第6回集英社ジャンプ小説・ノンフィクション大賞を受賞し、デビュー。2003年『GOTH リストカット事件』で第3回本格ミステリ大賞受賞。著書に『ZOO』『きみにしか聞こえない』「Arknoah」シリーズなど。複数の別名義で小説を執筆、安達寛高名義では映像作品の脚本、監督作品を発表している。

集英社
2024年7月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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