路上、電車、会社、トイレ……公共空間にはびこる〈マチズモ=男性優位主義〉の実態を取材&徹底検証! 武田砂鉄『マチズモを削り取れ』試し読み

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なぜ道を歩くだけで、電車に乗るだけで、家を借りるだけで、仕事のキャリアを築こうとするだけで、女性にはこんなに困難がつきまとうのか? 日常にはびこる〈マチズモ=男性優位主義〉の実態を男性ライターが取材&徹底検証! ジェンダーギャップ指数、先進国でぶっちぎり最下位のこの国の「体質」をあぶり出す。

個人として考え、社会の問題として捉え、私たちの未来のために問いかけていく『マチズモを削り取れ』(武田砂鉄・著)より、冒頭部分を公開します。

 ***

一章 自由に歩かせない男

 男、めっちゃ有利なのだ

 しつこいほどにお土産屋が軒を連ねるアーケードに入り、お土産屋を出ては、次のお土産屋に入る、を繰り返しているうちに、みんなとはぐれてしまう。一体、みんな、どこの店にいるのだろう。ここにいそうだ、と入ったお土産屋に誰もいない。石垣島のお土産屋ではやっぱりシーサーが前面に押し出されていて、当然この場には馴染んでいるが、東京の自宅に戻った途端に、この存在が自己主張強めをキープしたまま浮いてしまうと想像できるので、もちろん買わない。いやそれでもまだシーサー、という強気の姿勢を貫いてくる。コミカルな表情のシーサーが型押しされたコースターと目が合う。赤と青のコースターがあり、それぞれにこのようなシールが貼られていた。

  赤いコースター →「親子シーサー お母さん 福を呼ぶ」
  青いコースター →「親子シーサー お父さん 福を逃さない」

 本書は、このコースターの文言にある、何気ない差異を探るようなものになる。シーサーの守り神としての本来的な存在意義はひとまず傍らに置き、「お母さん」に「福を呼ぶ」、「お父さん」に「福を逃さない」、という表現がそれぞれポップにあてがわれた結果が、どんなことを示唆しうるのかをわざわざ考え込んでみたい。
 福を呼ぶ、ということは、「お母さん」には、自分の内側に足りていない「福」を誰かから、どこかから、呼んでくるという役割が与えられているのだろうか。
 それに対し、「お父さん」には、あらかじめ備蓄されている「福」をこのまま逃さず捉えておく役割が与えられているのだろうか。あるいは、手に届くところにすでに福があり、その福を逃さないようにするというのだろうか。なぜ、お母さんは福を探す段階で、お父さんは福を自分のものとして守る段階にあるのだろう。
 お母さんに求められているのは、外在している福を自分のものとして取得する行為。福は外でゲットしてこい。自ら発生させることはできないのだろうか。お父さんには、福が内在している。もしくは、もう目の前にある。どこかで取得してきたものか、自ら発生させたのかは知らないが、福との距離が近い。福が常備されているのは男だから、福を探す女は、男から福をお裾分けされるのを望めということだろうか。考えすぎだと感じる人もいるだろう。でも、本書は基本的に、ずっとこんな感じだ。考えすぎないから、いまだにこんな感じなんだと思う。この本は、考えすぎてみよう、という本だ。

武田砂鉄
1982年東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年よりライターに。2015年『紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす』で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。16年、第9回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞を受賞。著書に『べつに怒ってない』『今日拾った言葉たち』『父ではありませんが 第三者として考える』『なんかいやな感じ』などがある。近年はラジオパーソナリティとしても活動の幅を広げている。

集英社
2024年7月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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