【『地面師たち』原作をたっぷり試し読み】不動産詐欺集団が狙うのは、時価100億円の物件……。Netflixでドラマ化、新時代のクライムノベル! 新庄耕『地面師たち』
試し読み
「にしても、あんた、えらい若いな」
後藤がおもむろに顔をあげ、マイクホーム側の司法書士に眼をむけた。
まだ三十代前半に見えるその司法書士は、ふいに声をかけられて、縁無しの眼鏡をかけた顔に動揺の色をあらわにしている。
「登録年次いつなん?」
後藤が高圧的にたずねると、司法書士は心なしかたじろぎながら、登録して五年あまりだと答えた。
「なんやあんた、まだ年次制研修、一回しかうけとらんの。職業倫理めっちゃ大事やで。そんなんで、こない大事な決済つとまるんかいな。ちょっと心配になってきたな」
座が静まり、不穏な空気が室内に流れた。
言いがかり同然の、後藤の不満げな発言に、司法書士は儀礼的に低頭して顔をひきつらせている。マイクホームに対する体裁もあるのだろう、書類を確認する手つきはいかにもやりづらそうだった。
司法書士が皆の視線に耐えながら、丹念に確認作業をつづけていく。
途中、気になるところが出てきたのか、司法書士がすでに確認済みの書類を手元にもどそうとしたときだった。その様子をじれったそうに見ていた後藤が口をひらいた。
「そんなちんたらせんと、はよせえよ。新幹線の時間あんねんぞ。乗りそびれたらどないしてくれんねん」
あからさまに険をふくんだ声だった。
「すみません、島崎さんも午後から老人ホームの定期回診があるようなので、なるべく急いでいただけますか」
拓海が丁重に補足すると、司法書士の隣で落ち着きなく見守っていた社長が代わりにうなずき、それとなくうながしている。
その様子を見ているうち、最初にマイクホーム側と対面した際に社長が発した、懇願するような言葉が思い起こされた。
―お願いします。うちに買わせてください。
主に投資用ワンルームマンションの開発・販売を手がけるマイクホームは、創業七年目ながら社員六十名あまりをかかえていて成長いちじるしい。不動産の仲介から事業をスタートし、販売代理、専有卸を経て、今回がはじめての自社開発となる。
一部上場という経営目標をかかげるマイクホームにとって、自社開発はいわばその足がかりだった。目標実現のために、以前から都内の良質なマンション用地を探していたものの、競争が激しく、開発されつくした都心ではなかなか見つからなかったのだという。そのような状況下にあって、島崎健一が所有する恵比寿の一等地が売りに出たとなれば、マイクホームが前のめりになるのも無理はなかった。
たとえば、建蔽率八十%、容積率四百%、前面道路十四m、高度四十mに制限された今回の土地に目一杯のマンションを建築すると、共用部分をふくめても、区の条例を満たした二十八平米の単身者用のワンルームや、より広いファミリーむけの部屋が三十室前後はとれるだろうか。賃貸価格の相場が坪あたり二万円強となるこのエリアでは、満室時の年間賃貸収入が九千万円以上は見込め、そこから諸経費を差し引くと八千万円ほどに落ち着く。仮に利回りを三・五%と期待するなら、マンションの評価額はおよそ二十数億円と算出されることになる。
社長は、今回の契約がもたらす種々の利益と、失敗した折の損失を嫌というほど認識しているからかもしれない。書類確認に慎重な姿勢をかろうじて見せつつも、売主側の機嫌をそこねて万が一、取引が破談にならぬよう心をくだいている気配が濃厚だった。
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