【『地面師たち』原作をたっぷり試し読み】不動産詐欺集団が狙うのは、時価100億円の物件……。Netflixでドラマ化、新時代のクライムノベル! 新庄耕『地面師たち』

試し読み

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 トイレから出たところで、通路にハリソン山中が立っていた。
「お疲れさまです」
 そう言って、個室にもどろうとすると、すれ違いざまに、呼び止められた。
「彼らには油断しないでくださいね」
 ハリソン山中が声を低める。
 言われるまでもなかった。どれだけ酒が入ろうと、どれだけ熱にうかされようと、自分を見失うつもりはない。
 個室では、変わらず皆が酒肴を楽しんでいた。
「ほんで竹下さん、今回の報酬、また例の教団につっこむん?」
 後藤がマッコリを呑みながら興味深げな眼で竹下にからんでいる。
「もちろん。生徒数増えてきたからヨガ教室も増やさなきゃなんないし、教典とか冊子とか信者用のグッズもそろえなきゃなんないから」
 竹下がいくらか得意げな調子で答えた。
 何年か前に単立の宗教法人を手に入れた竹下は、図面師の仕事と並行して、布教活動と信者の獲得を活発におこなっているというのは拓海も聞いている。最初その話を耳にしたときは、そんな怪しげなものがうまくいくのかと半信半疑だった。信者数は今も順調に増加し、それにともなって寄付やお布施などの収入も右肩上がりなのだという。
「そんなゴキブリみたいに真っ黒な尊師で、信者なんか集まるの?」
 竹下の顔を盗み見しながら麗子が笑いをこらえている。
「俺は表に出ないよ。出る必要もないし。表に出てチヤホヤされて喜んでるやつなんてさ、たいてい馬鹿だから。荒っぽいことしないで、淡々と当たり前のことしてりゃ自然とひとは集まってくるって」
「当たり前のことって、どういうことですか」
 気になって拓海は口をはさんだ。
「要はみんな救われたいわけよ。病気だったり貧困だったり、死後のことだったり理由もなく生きるのが辛かったり、なにかしらの不安を多かれ少なかれかかえてるわけ。うちは現世利益うたってるけど、現世でも来世でも、ちゃんと真面目にお布施して信仰したならば、あなたは必ずや救われますよって言ってあげる。それが当たり前のこと。一族郎党すってんてんになるまで金むしりとったり、病が治るとか言ったりすると駄目だな」
「竹下さんが宗教やってる理由ってのはやっぱりお金なんですか」
 宗教法人が一般法人よりも税制面で破格の優遇をうけ、有形無形の資産を築きやすいということは拓海も知識としては知っていた。
「当然。別に尊師になりたいわけじゃねえし、金はいくらあっても困らねえからな。それに、ずっとあぶねえ橋わたってらんねえって」
 冗談とも本気ともつかない調子で竹下がうそぶいている。

新庄耕(しんじょう・こう)
1983年東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。2012年、第36回すばる文学賞を受賞した『狭小邸宅』にてデビュー。著書に『カトク 過重労働撲滅特別対策班』『サーラレーオ』『ニューカルマ』『夏が破れる』などがある。

集英社
2024年7月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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