【『地面師たち』原作をたっぷり試し読み】不動産詐欺集団が狙うのは、時価100億円の物件……。Netflixでドラマ化、新時代のクライムノベル! 新庄耕『地面師たち』

試し読み

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「社長さん、そらそうですわ。島崎さんがいてはるホームはえらい上等なとこやから、下手なホテルなんかよりよっぽど快適です」
 スマートフォンを注視していた後藤がいつもの調子で強引に回答を引き取る。相変わらず馴れ馴れしいその声に、わずかながら焦燥の響きがふくまれている。
「そうですよね。あそこはラグジュアリー度でいったら都内でも指折りですもんね。メディアでもよく取り上げられてますし、レストランの中にお鮨屋さんが入ってたりなんかして」
「ああ……そうそう。鮨屋な。ええよな、鮨」
 魚嫌いの後藤がササキに代わって苦し紛れに言葉を返している。島崎健一が住む老人ホームに関する情報については、後藤も拓海もほとんど知らないも同然だった。
 にわかに状況が切迫してくるのを感じた拓海は、マイクホーム側に気づかれないようテーブルの下でスマートフォンを操作した。ほどなく、すぐ隣で携帯電話が鳴った。
 ササキはポケットから携帯電話を取り出すと、事前の取り決めにしたがい、無言の相手にむかって応対するふりをしている。
「ホームからで……」
 ササキが送話口を手で押さえながら、大事な話をしなければならないのだと言いたそうな眼でこちらを見ている。相手に気づかれる恐れがあるときの緊急避難だった。喫茶店で繰り返した練習よりも、自然な振る舞いだった。
「それでは、いったん外しましょう」
 拓海は皆に聞こえるように言い、ササキを連れて部屋の外へ出た。
 弁護士事務所の外でササキを落ち着かせている間、拓海はスマートフォンを内ポケットから取り出し、老人ホームとは別の話題に変えるよう後藤にメッセージを送った。
 五分ほどしてから、ササキとともにもどると、応接室はにぎやかな笑声に満ちていた。拓海の指示どおり、後藤がうまくやってくれたらしい。駅の立ち食いそば屋に見る関西と関東の出汁(だし)の違いについて、誇張しながら比較文化論まがいの持論を述べ、いつもの調子で皆の笑いをとっている。
 無事に危機が去り、席についた拓海はくつろいだ心もちで後藤の雄弁な語りに耳をかたむけた。
「思い出した」
 ふいの声だった。
 それまでずっと黙っていた新人と思しきマイクホームの若い女性社員が後藤の話を断ち切り、ササキに顔をむけている。つけまつ毛に縁取られた目を嬉しそうに見開きながら、なにか重大なことをひらめいたと言わんばかりに、スーツの上からでもわかる豊満な胸の前で合掌している。
「さっきの老人ホームって、もしかして、いずみ鮨さんの二番手さんが握りに来てくれるところじゃないですか。そうですよね。アタシ、知ってます。昔からいずみ鮨さんよく行ってるんです。親が大将のファンで」
 よほどその鮨屋に思い入れがあるのか、女性社員は、苦笑いをうかべながらやんわりとたしなめる社長の制止にもとりあわず、いかにも我慢できないといった感じで話している。

新庄耕(しんじょう・こう)
1983年東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。2012年、第36回すばる文学賞を受賞した『狭小邸宅』にてデビュー。著書に『カトク 過重労働撲滅特別対策班』『サーラレーオ』『ニューカルマ』『夏が破れる』などがある。

集英社
2024年7月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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