【『地面師たち』原作をたっぷり試し読み】不動産詐欺集団が狙うのは、時価100億円の物件……。Netflixでドラマ化、新時代のクライムノベル! 新庄耕『地面師たち』

試し読み

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 気まずそうな薄笑いをうかべていた司法書士が、ササキに顔をむけた。
「それでは、島崎さま。本人確認をいたしますので、顔写真つきの身分証明書をご提示いただけますか」
 入室してから一言も言葉を発していないササキは、いくぶん緊張した面持ちで小さくうなずくと、ジャケットの内ポケットから財布を取り出し、中にしまっていた免許証を司法書士へ示した。
「直接拝見してもよろしいですか」
 司法書士は「島崎健一」の免許証を受け取った。形状や外観を確認してから、氏名や住所表記などに視線を走らせ、券面の写真とササキの顔を見比べている。
「では、念のためいくつか簡単にこちらから質問させてください」
 司法書士が呼びかけると、ふたたびササキはうなずいてみせた。
「島崎健一さまご本人で、お間違いないですね」
「……間違いありません」
 ササキの表情に動揺らしき色は見受けられない。少し答えづらそうにしている雰囲気が、かえって「本物」っぽさを演出できているとすら感じられる。
「生年月日を教えていただけますか」
「昭和十五年の、二月十七日」
 ここに来る前の喫茶店でのやりとりを再現するように、ササキがよどみなく答えている。拓海は、平穏な心もちで耳をかたむけていた。
「干支をお願いします」
 免許証と卓上のメモを見ながら司法書士が淡々とした調子でつづける。
「ええと……せ、一九四〇年生まれの二月十七日生まれで、た、辰」
 記憶を呼び起こすようにササキが眼をつむりながら答えた。暗記した内容に気をとられすぎて、余計なことまで答えてしまっている。思わしくない流れに、拓海は眉間のあたりがこわばってくるのを自覚していた。
「こちらに二枚の写真がありますが、ご自宅の写っている方を教えていただけますか」
 司法書士が二枚のコピー用紙をテーブルの上にならべた。
 片方の用紙には、正面から撮影されたと思しき島崎健一邸のカラー画像が印刷されていた。長らく風雨にさらされつづけた石塀はまだらに黒ずんで苔が付着し、そのむこうに、このあたりではいまやほとんど見かけなくなった瓦葺(かわらぶ)きの木造家屋が建っている。もう片方には、島崎邸と同じ年数ほど経年劣化したように見える民家が写っている。一見して雰囲気は似ていても、瓦の色や窓の配置、塀の造りなどがちがう。
 ササキが口をつぐんだまま、コピー用紙を凝視している。喉元が、動揺するように大きく上下に動いていた。
 想定していない鋭い質問だった。ササキに島崎邸の写真をさらりと見せてはいたものの、細部の造りまでおぼえさせることはしていない。忘れてしまったか、この画像だけでは判断がつかないのかもしれない。

新庄耕(しんじょう・こう)
1983年東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。2012年、第36回すばる文学賞を受賞した『狭小邸宅』にてデビュー。著書に『カトク 過重労働撲滅特別対策班』『サーラレーオ』『ニューカルマ』『夏が破れる』などがある。

集英社
2024年7月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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