【『地面師たち』原作をたっぷり試し読み】不動産詐欺集団が狙うのは、時価100億円の物件……。Netflixでドラマ化、新時代のクライムノベル! 新庄耕『地面師たち』
試し読み
「それでは時間も限られていることですし、早速はじめましょうか」
拓海が明るい声でうながすと、右隣に座る後藤がつづいた。
「せやせや、早いとこ片づけましょ。それと個人的なあれですんまへんけど、ワタシ、ちょっと午後から大阪に戻らなあかんのですわ」
場をなごませるように、後藤がわざとらしく卑下した笑みを満面にうかべている。
マイクホーム側の反応はうすかった。一様に硬い表情をくずそうとしない。
拓海がダレスバッグから取り出した書類をテーブルの上にならべると、むかいの司法書士もそれにならい、決済に必要な書類の確認が双方でおこなわれた。
今回、取引対象となっている物件は、恵比寿駅にほど近い土地だった。地積は三百四十三平米を有し、七億円あまりの売値でマイクホーム側とすでに折り合いがついている。坪単価にして七百万円弱ほどで、実勢価格が一千万円を超えるこのあたりの土地の相場からすると相当に安い。
現況は築五十年以上経過した二階建ての空き家で、庭の草木が手入れもされず鬱蒼としている。誰もが欲しがる都心の一等地でありながら、古びた民家に独居老人が住んでいただけで権利関係に複雑な事情は見られず、抵当権も設定されていない。誰にも土地を売らないという所有者の島崎の思いとは無関係に、このエリアを得意とする不動産業者の間では知られた物件だった。
拓海たち地面師が、島崎健一が老人ホームに入ったという情報を得たのは、入居して半年ほど経った昨年末のことになる。それからあわただしくも周到に準備をすすめ、方々に偽の情報を流すと、いくつかの問い合わせと紆余曲折を経たのち、二ヶ月ほど前にマイクホームから不動産ブローカーを通じて買いたいという知らせを受けた。
拓海は、売主の代理人としてマイクホーム側と交渉をかさねると、大幅な割引にくわえ他にも多数の購入希望者がいることを理由に急かし、あおった。ひそかに作った合鍵で物件の内覧を実施するなど相手をその気にさせて、早々と売買契約を締結し、この日の決済をむかえるにいたっていた。
いかにも実直そうな司法書士が、拓海から受け取った書類に順に眼を通していく。
拓海は平静をつくろって指を組んだ。相手の名刺を一枚ずつ値踏みするようにながめている後藤と、体をかたくしているササキの方へさりげなく眼をやりつつ、テーブルのむこうにたえず神経を集中させていた。知らぬうちに汗ばみはじめ、指先に貼った人工フィルムの異物感がやたらと意識される。
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