【『地面師たち』原作をたっぷり試し読み】不動産詐欺集団が狙うのは、時価100億円の物件……。Netflixでドラマ化、新時代のクライムノベル! 新庄耕『地面師たち』

試し読み

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「麗子ちゃん、そんなとこでごちゃごちゃ言わんと、はよここおいで」
 後藤がそう言って、右手に空いた肘掛け椅子に腕をまわした。
「後藤さんの横はうるさいし、ポマード臭いから、拓海ちゃん、お隣いいかしら」
 麗子が自分の隣に腰をおろす。
 鼻をつくような甘ったるいフローラル系の複雑な香りがひろがった。
「拓海くん、店員呼んでくれる? 酒たのも、酒。とりあえずビール五つ」
「ビールなんて嫌よ。私はドンペリのロゼ」
 後藤と麗子をいなして店員を呼び、ドリンクの注文を告げる。料理は、予約の際にもっとも高いコースを注文済みだった。
 間もなく運ばれてきたドンペリのボトルが抜栓され、グラスにそそがれていく。ハリソン山中が小指に義指をはめた右手でグラスをかかげると、皆もそれにならった。
「皆さん、お疲れ様です。無事に今回もプロジェクトが成功して感無量です。これも皆さんのご尽力のおかげです。あらためて感謝申し上げます。今後もご協力いただくかと思いますが、ひとまず今夜は仕事のことは忘れて大いに愉しみましょう。乾杯」
 ハリソン山中の、百八十センチを超える体には似つかわしくない澄ました声をうけ、皆一斉に歓声をあげながらグラスの酒を口にふくんだ。
 ユッケやナムルなどのオードブルからはじまり、アワビの踊り焼きをはさんで、きめの細かい和牛の肉が部位ごとに網の上に載せられていく。埋込み式のガスロースターからはしきりに肉や脂の焼ける音がし、香ばしい匂いがテーブルにひろがる。次々とグラスの酒が空けられ、ひかえめな笑声とともにくだけた雰囲気が座に満ちていた。
「竹下さん、ちゃうねんて。拓海くんが途中でフリーズ起こしてえげつなかったんやって。せやけど、老人ホームの鮨屋は反則やで。あの、暴力的にでかいオッパイした姉ちゃん、いきなりペラペラペラペラしゃべりよって。ササキのジイさんにもからむし。どないしようか、ほんま困ったわ」
 何杯目かのマッコリのグラスを手にした後藤が愉快そうに目を細めながら、武勇伝よろしく決済の一部始終を皆に話して聞かせている。かなり酒がまわっているらしい。大きな顔はすっかり赤らみ、禿げあがった額に皮脂がういて天井の光をはじき返していた。
 苦笑しながら後藤の話を聞いていた拓海は尿意をおぼえ、席を立った。
 個室を出て、途中ですれちがった男性店員にトイレの場所をたずねると、嫌な顔ひとつせず丁重な態度で教えてくれる。客単価の高いこの店で多くの客と接してきたはずの店員の眼には、自分のことがどのように映っているだろう。小綺麗にまとめた髪型や肌艶、量販店で買い求めたシングルスーツ姿とは裏腹に、老人さながらの白髪のため年齢不詳に見えるかもしれない。

新庄耕(しんじょう・こう)
1983年東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。2012年、第36回すばる文学賞を受賞した『狭小邸宅』にてデビュー。著書に『カトク 過重労働撲滅特別対策班』『サーラレーオ』『ニューカルマ』『夏が破れる』などがある。

集英社
2024年7月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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