大晦日にホテルで思い出話に耽った80代男女3人は、猟銃で命を絶った……喪失と前進を描く江國香織『ひとりでカラカサさしてゆく』試し読み

試し読み

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

 三人は、一九五〇年代の終りに出会った。美術系の小さな出版社にまず完爾が、数年遅れて知佐子と勉が入社したのだ。業界全体が元気なころで、日々めまぐるしく忙しかったが楽しくもあった。三人(だけではなく、他にも仲間がいたのだが、長年のあいだに一人ずつ欠けていった)は気が合って、勉強会と称して芝居や映画やコンサートにでかけたり、酒を飲みながら熱く芸術論を戦わせたりした。関係は、勉が転職しても完爾が転職しても変らなかった。ついに会社が潰れたあとも、勉強会(という名の集り)は残った。それぞれの人生上の都合で頻度の落ちる時期もあったが途切れることはなく、十年前にいきなり完爾が秋田県に移住したあとも、もはや勉強会ではなく生存確認会だと言い合いながら、連絡を絶やさずにいる。

 間接照明のみのバーラウンジはひどく暗く、視力の衰えた完爾には、メニューの文字も読めなかった。

「窓の外は夜なのに、店のなかが外よりも暗いっていうのはどういうわけなんだ?」

 呟くと、

「バーだもの」

 と知佐子が即答した。

「暗い方がロマンティックじゃないの」

 と。完爾はフードメニューを閉じる。どのみち腹は減っていなかった。

「おもての電飾があかるすぎるんだろうな」

 自分の問いに自分でこたえる恰好でまた呟くと、

「きれいじゃないの、きらきらして」

 と言って知佐子はにっこり微笑む。電飾にも室内の暗さにも関心のない勉は、こういう店に昔よく来たものだった、と、個人的な記憶をたぐっていた。

「あたしこの曲大好き」

 知佐子が言い、ピアニストの弾くナイトアンドデイに合せて小さく歌詞を口ずさむ。

「知佐子、声は変らないな、昔から」

 完爾が言った。年をとって容姿が変っても声が変らないのはおもしろいことだと思ったのだが、知佐子はそれにはこたえず、

「不思議よね、アメリカになんて一度も行ったことがないのに、こういう曲を聴くと昔のアメリカがなつかしくなるの」

 と、ほとんどうっとりした表情で言う。

「行ったことがないんだから、なつかしがるなんて変なんだけど」

 と、どこか恥かしそうに。完爾も勉も、それはべつに変ではないと認めた。二人とも、知佐子の言わんとすることはよくわかった。

「この曲、昔、映画のなかでフレッド・アステアが歌ってたな」

 勉が言い、知佐子も完爾も同意したが、何という映画だったかは誰も思いだせなかった。

「あ、これも好き」

 エヴリタイムウィーセイグッドバイだった。三人ともとくにジャズに詳しいわけではなかったが、スタンダードなものならたいてい知っていたし、好きでもあった。それで口ずさんだり指とテーブルでリズムをとったりしながら、コール・ポーターやカウント・ベイシー、シナトラやビル・エヴァンスやトミー・フラナガンの音楽について話した。あれはいいとかよくないとか、誰のヴァージョンが上かとか、昔どこで聴いたとか。あのころ、とか、そういえば、という言葉によって話はしばしば脱線し、互いが昔言ったことやしたこと(「それは俺じゃないよ」「いや、完爾さんだよ」)、死んでしまった友人たちの、彼らを知らない人々には到底想像もつかないであろう陰影ある魅力(「あんな奴はあとにもさきにもいないね」「まだ六十代だったでしょ? 早かったわねえ、早すぎたわよ」)もまた語られ、笑ったりしんみりしたりした。

 三人とも、思い出話ならいくらでもできた。おなじ時代を生きてきたのだ。気がつけば、家族とよりもながいあいだ一緒にいる。家族とほど親密な関係だったことはないにしろ、大昔にはほれたはれたに類することがまったくなかったわけでもなく、実際、完爾は知佐子が自分に思いを寄せてくれていたころのことを憶えているし、勉は知佐子と寝たことを憶えている。もちろん知佐子はその両方を憶えていた。

「よし。何か食おう」

 勉が言い、片手をあげてウェイターを呼んだ。

「あらやだ。ほんとうに全然読めないわね」

 メニューをひらいた知佐子が言う。

「だろ?」

 完爾は笑い、知佐子の膝をぽんと叩いた。夜はまだまだながく、家に帰る必要もない。部屋は一つしか取っていないが、今夜の三人にはそれで十分なのだった。

以上は本編の一部です。詳細・続きは書籍にて

江國香織
1964(昭和39)年東京生まれ。1987年「草之丞の話」で「小さな童話」大賞、1989(平成元)年「409 ラドクリフ」でフェミナ賞、1992年『こうばしい日々』で坪田譲治文学賞、『きらきらひかる』で紫式部文学賞、1999年『ぼくの小鳥ちゃん』で路傍の石文学賞、2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞、2007年『がらくた』で島清恋愛文学賞、2010年『真昼なのに昏い部屋』で中央公論文芸賞、2012年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞、2015年『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』で谷崎潤一郎賞を受賞した。近刊に『去年の雪』『川のある街』『読んでばっか』など。小説以外に、詩作や海外絵本の翻訳も手掛ける。

新潮社
2024年7月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

株式会社新潮社のご案内

1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「週刊新潮」「新潮」「芸術新潮」「nicola」「ニコ☆プチ」「ENGINE」などの雑誌も手掛けている。

▼新潮社の平成ベストセラー100 https://www.shinchosha.co.jp/heisei100/