結局、一平が添野チーフを捜して相談することになった。インカムも貸与されていないので、歩き回って捜すしかない。売り場でみつけて報告を始めると、話の途中で彼女は即断し指示した。
「じゃ、堀部君が家まで付き添ってあげて」
「え?」
そういうつもりで言ったのではないが、今さら取り消せない。
「今日はもう上がっていいから。悪いけどよろしく。本人、立てるんでしょ」
「そう言ってますが」
「冷たいようだけど、以前からの持病で労災対象じゃないから、タクシー代を会社がもつのは無理。堀部君の交通費はあとで申請して。もし、どうしても歩けそうになかったら、やっぱり救急車ね。その場合は店内放送でわたしを呼び出して」
普段の添野のことも知っているから、冷酷という印象はない。つまり、これが職場というものなのだろう。
「わかりました。──葛城さんには、家族とかいないんですか」
「履歴書に《知人》の連絡先が書いてあるけど、いつも本人が拒否するのよ。だけど、さすがに救急車を呼ぶことになったら、その人に連絡する」
「わかりました」
「定時まで時間給つけるから、お願いね」
人差し指を軽く立てて、またどこかへ去った。戦場の指揮官でも務まりそうだ。
あまり気乗りがしなかったが、アルバイトを統括する立場の社員にあそこまで言われては、嫌といえない。
一緒に帰りましょうと声をかけると、葛城は力なく手を振って辞退した。
「結構ですから、ひとりで帰れますから」
それでも無理やり一緒に帰ることにした。
陽介に簡単に事情を説明すると「頑張れよ」と励ましてくれた。私物置き場へ行き、自分のリュックを背負い、葛城の黒いリュックを手に持ってやる。
ホームセンター前にバス停がある。そこからバスで十二、三分、駅前の終点で降りる。
一平の自宅からの最寄り駅でもある。都営地下鉄で東京都の東の端に位置し、江戸川(えどがわ)を越えて一つ先の駅はもう千葉県だ。
一平の家は駅から南へ十分ほど歩いたところだが、葛城のアパートは北へ同じく十分ほどだと言う。近くてよかったと、心のどこかで思ってしまう。
「タクシーに乗りましょう」
葛城はかたくなに「歩きます」と言い張ったが、これだけは一平が通した。代金は、添野がつけてくれるという時給を充てるつもりだ。
約一キロの初乗り運賃の距離で目的地に着いた。四百十円だ。乗るとか乗らないとか、どちらが出すとかもめるのが悲しい金額だ。
葛城が指示するとおりに進み、全体が古びた印象の住宅街の、狭いT字路を折れた。二台の車がすれ違うのもきつそうな細い道で、葛城が「ここです」と言った。
料金を払ってタクシーから降りた。葛城を支えてやる。雨はもう止んでいた。雲間からのぞいた五月の太陽が、濡(ぬ)れた路面の窪(くぼ)みに乱反射する。そのまぶしさがなんとなく不安な印象を与える。
「あそこです」
葛城が指さす先、私道と思われる細い路地の突き当りに、昔の映画にでも出てきそうな古びた一軒のアパートがあった。
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