訪れたアパートの住人は、全員“元犯罪者”だった――伊岡 瞬『残像』試し読み

試し読み

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「大丈夫?」
「うん。彼について来てもらったから」
「おたく──ええと、どちらさん?」
 ここでようやく女が一平に尋ねた。さっき一平の顔を見て何か言いかけたのは、だれかと見間違えたのだろう。
 一平は、女の顔を正面から見て、とっさに日本人形を連想した。色白で、目や鼻や口がどれも小ぶりな造りだ。髪形もきっちり切りそろえたボブだから、もしかすると本人も意識しているのかもしれない。それにしては、服装の派手さとは釣り合いがとれていない印象だ。そのミスマッチぶりのせいか、どこか艶(つや)っぽい雰囲気もある。
 年代は、一平の母親よりやや下、四十を少し超えたあたりかもしれない。ただ、しっかり化粧をしているので、断言はできない。
「葛城さんと同じ店でバイトしてます。堀部といいます」軽く頭を下げた。
「ああ、なんだっけ。ええと、ミソラとかいうホームセンター」
「ルソラルです」
「ああ、たしかそんな名前ね。──学生さん?」
「はあ、そうです」正確には浪人中です、と訂正する必要もないだろう。
「ありがとう。助かりました」
 二人のやりとりに割り込んで、葛城は深々と頭を下げて玄関に入って行った。
「ねえ。もしかして、ここ?」
 女が、エプロンに描かれたクマノミの上から、胃のあたりをさすった。
「そうみたいです」
 この場にいると、さらにあれこれ聞かれそうな気がしてきた。無事送り届けたことでもあるし、そろそろ帰ることにする。
 葛城にひと言かけるために、わずかに開いているドアの隙間を広げ、頭を突っ込んだ。狭い玄関を入ってすぐ脇が狭い台所になっていて、葛城はシンクで手を洗っている。
「それじゃあ葛城さん、おれ、これで帰りますから。それと、添野チーフが──」
 ふいに、耳元に温かい息を感じた。振り向くと、三十センチもないところに女の顔があった。
「うわ」
 思わずのけぞる。のけぞった勢いで、ドアに後頭部をぶつけた。
「あ痛(い)てっ」
 いつのまに忍び寄ったのか、女が一平の肩越しに部屋の中をのぞこうとしていたのだ。
「こっちこそ、うわー、よ。もう少しで口づけするところだったじゃない」
 友達に対するような馴(な)れ馴れしい口調だ。
 なんだ、この人は──。
 顔つきは純和風だが、中身はあけすけというかラテン系のようだ。もっとも、ラテン系の知人はいないが。
 一平がドアの外へ身を引くと、女はするりと脇を抜けて玄関から上がり込んでしまった。何をするのかと見ていると、女は葛城を座らせて、何か声をかけ、コップに水を汲(く)んだりしている。親しそうだ。これならまかせて大丈夫そうだ。さっさと帰ろう。
 ドアを閉めようとしたとき、後ろから肩をぽんと叩(たた)かれた。
「うわっ」
 また驚いて振り返ると、別の女が立っていた。和風ラテン系の女が出てきた一〇二号室のドアが半分ほど開いているから、一緒にいたのかもしれない。
「ナオさん、どうかしたの?」
 女は、わずかに眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せて一平に聞いた。ほんのりと、柑橘(かんきつ)系の香りが漂った。
「あ、ええと」
 質問の中身などどこかへ飛んで、見とれてしまった。

伊岡 瞬(いおか しゅん)
1960年東京生まれ。05年『いつか、虹の向こうへ』で第25回横溝正史ミステリ大賞とテレビ東京賞をW受賞しデビュー。16年『代償』で啓文堂書店文庫大賞を受賞。同作は50万部突破のベストセラーに。著書に『145gの孤独』『瑠璃の雫』『教室に雨は降らない』『悪寒』『本性』『冷たい檻』『仮面』『清算』『水脈』などがある。

KADOKAWA カドブン
2024年7月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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