「おい、あれ」肘(ひじ)で陽介をつついて、立ち上がる。
「ほんとだ。やばいかも」陽介も立つ。
そちらに向かいかけたとき、背後から声がかかった。
「どうかしたの?」
よく通る女性の声にふり返ると、社員の添野聡子(そえのさとこ)だった。添野はこの店に三人いるチーフマネージャーの一人で、皆からは略して「チーフ」と呼ばれている。チーフは現場のあれこれを統括しており、一平たちの配置も勤務シフトも、おそらくは雇用条件も、ある程度裁量に任されているらしい。たしか四十歳を一つか二つ超えたぐらいだと記憶している。
「葛城さんが、急に、あんなふうに」
一平の説明を受けて、添野がうずくまる葛城に気づいた。
「あら、またかしら」
添野はすたすたと葛城に近づき、すぐ近くにしゃがんで顔をのぞき込むようにした。
「葛城さん。大丈夫? 葛城さん!」
次第に声が大きくなるが、葛城はほとんど反応しない。痛みがひどそうだ。
「どうしようかしら」
そう言いながら添野は立ち上がり、周囲を見回した。一瞬だけ一平たち二人のところで視線が止まったが、すぐにまたしゃがんだ。添野の目には、何かを頼れる人間として映らなかったようだ。
「救急車呼びますか?」
添野は葛城本人にたずねた。葛城が弱々しく首を左右に振るのが見えた。
「少し休んだらよくなります?」
かすかにうなずき、何か答えたようだ。それを聞いて立ち上がった添野が、こんどはしっかりこちらを見て近づいてくる。
「自販機で、なにか温かいものでも買ってあげて」
陽介に向かって小銭を差し出す。その程度には頼れると思ったらしい。
「はあ」
とまどいながらも陽介が受け取る。すぐそこに自販機があるのにわざわざ頼むということは、買ってやるだけでなく、そのあとの面倒を見てやってくれという意味だろう。
「少し落ち着いたら、あっちのベッドに寝かせてあげて」
詰所のほうを顔で示す。中に、急に体調を崩した従業員のために、簡易ベッドが一台置いてある。
「はあ」
陽介は、なんでおれなんすか、と表情に出したつもりのようだが、添野は気にとめた様子はない。彼女はもう一度しゃがんで、葛城の背中に手をあてた。
「今日はもう結構ですから、少し良くなったらあがってください」
言い終えると、売り場へつながるドアに向かって歩きだそうとする。
「あの」
一平はその背中に声をかけた。よけいなことに首を突っ込まないほうがいい、と頭のどこかで思ったが、つい口をついて出た。
立ち止まって半身だけふり返った彼女に問いかける。
「もし、良くならなかったら、救急車を呼ばなくていいんですか?」
添野は伸びをするように、一平の肩越しに葛城の様子を見てから、小声で答えた。
「胃痙攣(いけいれん)なんだって」
「イケイレン?」
訊(き)き返す一平に、添野が、そう、とうなずいた。
「差し込み、って言うのかしら。ときどきああやって激痛が走るらしいんだけど、十分くらい安静にしていると治るのよ。これで三度目かな。病院へ行こうって言っても、本人はがんとして『大丈夫です』って言うのよ」
その先の「だからどうしようもないでしょ」という言葉は飲み込んだらしく、再び背を向け売り場のほうへ去った。
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