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- 暗い青春
- 価格:748円(税込)
青春ほど、死の翳を負ひ、死と背中合せな時期はない――。同人誌を編集するため、あるじが自殺して間もない芥川龍之介の旧宅に通った日々。苦悶がしみついているかのように陰鬱な部屋が思い起こさせるのは、青春時代に死んでいった仲間たちの姿だった。人間の喜怒哀楽の舞台裏に潜む、振り払い難き「死」の存在に、無頼派の旗手が独自の視点から肉迫を試みた。
火花の如き輝きを放つ短編10編を収録した本書より、表題作「暗い青春」の冒頭を特別公開いたします。
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暗い青春
まったく暗い家だった。いつも陽当たりがいいくせに。どうして、あんなに暗かったのだろう。
それは芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の家であった。私があの家へ行くようになったのは、あるじの自殺後二、三年すぎていたが、あるじの苦悶(くもん)がまだしみついているように暗かった。私はいつもその暗さを呪い、死を蔑(さげす)み、そして、あるじを憎んでいた。
私は生きている芥川龍之介は知らなかった。私がこの家を訪れたのは、同人雑誌をだしたとき、同人の一人に芥川の甥(おい)の葛巻義敏(くずまきよしとし)がいて、彼と私が編輯(へんしゅう)をやり、芥川家を編輯室にしていたからであった。葛巻は芥川家に寄宿し、芥川全集の出版など、もっぱら彼が芥川家を代表してやっていたのである。
葛巻の部屋は二階の八畳だ。陽当たりの良い部屋で、私は今でも、この部屋の陽射しばかりを記憶して、それはまるで、この家では、雨の日も、曇った日もなかったように、光の中の家の姿を思いだす。そのくせ、どうして、こう暗い家なのだろう。
この部屋には青いジュウタンがしきつめてあった。これは芥川全集の表紙に用いた青い布、私の記憶に誤りがなければ、あの布の余りをジュウタンにつくったもので、だから死んだあるじの生前にはなかった物のようである。陰鬱(いんうつ)なジュウタンだった。いつも陽が当たっていたが。
大きな寝台があった。葛巻は夜ごとにカルモチン*をのんでこの寝台にねむるのだが、普通量ではきかないので莫大(ばくだい)な量をのみ、その不健康は顔の皮膚を黄濁させ、小皺(こじわ)がいっぱいしみついている。
この部屋では、芥川龍之介がガス栓をくわえて死の直前に発見されたこともあったそうで、そのガス栓は床の間の違い棚の下だかに、まだ、あった。
この部屋で私は幾夜徹夜したか知れない。集まった原稿だけで本をだすのは不満だから、何か翻訳して、と葛巻が言う。だから、ここで徹夜したのは大概翻訳のためであったが、私は翻訳は嫌いなのだが、じゃあ小説書いて、とくる。私は当時はそう気軽に小説は書けないたちで、なぜなら、本当に書くべきもの、書かねばならぬ言葉がなかったから。私は一夜に三、四十枚翻訳した。辞書をひかずに、わからぬところは、ぬかして訳してしまうから早いのは当たりまえ、明快流麗、葛巻はそうとは知らなかった。
ところが葛巻は、私の横で小説を書いている。これがまた、私の翻訳どころの早さではない。遅筆の叔父(おじ)とはあべこべ、水車のごとく、一夜のうちに百枚以上の小説を書いてしまう。この速力は知るかぎりでは空前絶後で、もっとも彼は一つも発表しなかった。
私はこの部屋へ通うのが、暗くて、実に、いやだった。私は「死の家」とよんでいたが、ああまた、あの陰鬱な部屋に坐(すわ)るのか、と思う。歩く足まで重くなるのだ。私は呪った。芥川龍之介を憎んだ。しかし、私は知っていたのだ。暗いのは、もとより、あるじの自殺のせいではないのだ、と。ジュウタンの色のせいでもなければ、葛巻のせいでもなかった。要するに、芥川家が暗いわけではなかったのだ。私の年齢が暗かった。私の青春が暗かったのだ。
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