<書評>『自分の人生に出会うために必要ないくつかのこと』若松英輔 著 西淑 画

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自分の人生に出会うために必要ないくつかのこと

『自分の人生に出会うために必要ないくつかのこと』

著者
若松 英輔 [著]/西 淑 [イラスト]
出版社
亜紀書房
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784750518329
発売日
2024/04/22
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

<書評>『自分の人生に出会うために必要ないくつかのこと』若松英輔 著 西淑 画

[レビュアー] 井坂洋子

◆息苦しさ変える言葉

 本書は新聞の連載であり、東西の名著からの言葉を核にしたエッセイ集である。大岡信『折々のうた』を思いださせるが、本書が引用している言葉は箴言(しんげん)、名言のような鋭さはない。むしろ何気ない趣の言葉である。

 たとえばアラン『幸福論』より、「幸福はいつもわれわれから逃げてゆくものだ(略)しかし、自分でつくる幸福は、決して裏切らない」。あるいはヒルティ『幸福論』より、「仕事の机にすわって、心を仕事に向けるという決心が、結局一番むずかしいことなのだ」など。

 経済新聞の連載であり、ビジネスパーソンに向けてという意図も多少感じるが、役に立つ答えを求める者に対して、著者は読み手を見つめ返してくるようなところがある。

 “体験と経験”“事実と真実”“知と叡智(えいち)”の違いを挙げたわかりやすい語りぶりだが、頭でわかっても仕方ない問題をいかに相手の心に刻むかに腐心している。

 私がもっとも印象深かったのは、著者が介護施設の石牟礼道子さんに会いにいき、帰る間際に「もう少し……」と細い手を出され、「何も考えず、その手を握り、しばらく沈黙のまま二人で時間を過ごした」というエピソードだ。著者は<沈黙の世界こそが、故郷と呼ぶべき場所である>と言う。言葉の噓(うそ)を必要としないからだ。

 また、書き手としての自分を晒(さら)しつつこんなことも言う。<文章を前にするとどうしても「正しさ」に囚(とら)われがちになる。(略)そこから脱出するために人は、美を求めるのではないだろうか>

 同じ文章を読んでいても、日によってはご託宣はもうたくさんと思う時もあれば、身に沁(し)み透(とお)る時もある。本書は、ふしぎなことに、何度か読むうち、ほんの少し周りが変わって見える日がくる。自分の硬い殻にひびが入るのだ。自分の環境があまりにこせこせして息苦しい人や、崩れそうな自分の世界を前に茫然(ぼうぜん)とたたずむ人におすすめである。

(亜紀書房・1760円)

1968年生まれ。批評家、随筆家。『小林秀雄 美しい花』など多数。

◆もう一冊

『NHK宗教の時間 柳宗悦 美は人間を救いうるのか』(上)若松英輔著(NHK出版)

中日新聞 東京新聞
2024年6月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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