20世紀最大の文豪フランツ・カフカが残した、誰よりも弱くて繊細過ぎる言葉 『カフカ断片集』試し読み

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 カフカがノートやメモ、日記に記した「短く未完成な小説のかけら」=「断片」をまとめた『カフカ断片集 海辺の貝殻のようにうつろで、ひと足でふみつぶされそうだ』。

 今年没後100年を迎えた20世紀最大の文豪カフカは、絶望名人と呼ばれるほどネガティブな言葉を多く遺しました。本作にも胸を突かれるほど絶望的な感情、思わず笑ってしまうほどネガティブな嘆き、息をのむほど美しい言葉など、様々な感情を呼び起こす130の断片を掲載しています。発売以来ネットを中心に大反響を呼んでおり、100年以上前に書かれた断片に共感する人が続出中です。

 今回は試し読みとしていくつかの断片を抜粋して紹介します。

 ***

 木々
 そう、わたしたちは雪原に立つ木々のようなものだ。
 雪の上にのっかっているように見える。
 ちょっと突いたら、すべって行きそうだ。
 だが、そうはいかない。
 地面にしっかりつながっているのだから。
 いや、それもまた、そう見えるだけなのだ。

(小品集『観察』)
 
 
 
 隣人までの距離
 すぐとなりにいる人までの道のりが、わたしにとっては、とても長い。
(八つ折り判ノートH)
 
 
 
 正しい道筋
 正しい道筋を永遠に失ってしまった。
 そのことを、人々はなんとも深く確信している。
 そして、なんとも無関心でいる。
(八つ折り判ノートB)
 
 
 
 鎌で刈る
 わたしは鎌を研ぎ、刈りはじめた。
 刈るたびに、暗いかたまりがわたしの足もとに倒れていった。そうしてできた道をわたしは進んで行った。なにを刈っているのか、わたしにはわからなかった。
 村のほうから警告する声がしたが、わたしは励ましだと思って、さらに前進した。  小さな木の橋のところまで来た。これで仕事は終わった。そこで待っていた人に、わたしは鎌を渡した。その人は片手で鎌を受け取り、もう一方の手で、子どもにするようにわたしの頬を撫でた。
 橋のなかほどまで来たとき、この道でいいのか、ふと不安になった。暗闇に向かって大声で呼びかけたが、答える声はなかった。
 それで、さっきの人に尋ねるために、橋のたもとまで引き返したのだが、もうそこにはいなかった。

(創作ノート 1920年8月/12月)
 
 
 
 夢見る花
 花は、高くのびた茎の先で、夢見るように垂れていた。
 夕闇が花をおおっている。

(「夫婦」ノート 1922年10月/11月)
 
 
 
 準備不足
 彼はいつだって準備不足だ。
 それは自分がいけないのだ、と思うことさえ彼にはできない。
 というのも、いついかなる時でも準備ができているように責め立てられるこの生活のなかで、準備をする時間がどこにあるだろう。
 たとえ時間があったとしても、なにが起きるのかわからないうちから、準備ができるだろうか。人が決めたことならまだしも、自然に起きることを、次々と切り抜けていくことなど、そもそもできるだろうか?
 そういうわけで、彼はもうずっと以前から、車輪の下敷きになっている。
 おかしなことでもあり、また、なぐさめにもなるのだが、彼はそうなってしまうことへの準備が、他のどんなことへの準備よりもできていなかった。

(1920年の手記)

以上は本編の一部です。詳細・続きは書籍にて

Hiroki Kashiragi
文学紹介者。筑波大学卒。編訳書に『絶望名人カフカの人生論』『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ』、編著に『決定版カフカ短編集』、著書に『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』など。

新潮社
2024年6月24日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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