『失われた絵画を再生する デジタル技術を用いた復元への挑戦』木下悠著

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失われた絵画を再生する

『失われた絵画を再生する』

著者
木下 悠 [著]
出版社
中央公論美術出版
ジャンル
芸術・生活/絵画・彫刻
ISBN
9784805515037
発売日
2024/04/01
価格
3,960円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『失われた絵画を再生する デジタル技術を用いた復元への挑戦』木下悠著

[レビュアー] 小池寿子(美術史家・国学院大教授)

手仕事と技術 驚異の協働

 失われた作品を元の姿に再生することはできるのだろうか。経年劣化はもとより、震災や戦争によって焼失してしまった絵画は再び生命を取り戻せるのか。本書はこの問いを端緒とし、現場人である著者が、手仕事と最先端の技術を駆使して徹底的に実践し、実証的に復元の意味を追求する過程を記録している。

 そもそも復元と復原は異なる。復原は当初の姿が改造され、変化した現状をもとに戻すことであり、復元は消失してしまったものを旧に復することという。すなわち復元は、対象が現存しないものを蘇(よみがえ)らせる営みである。

 この奇跡とも言える作業の俎上(そじょう)の鯉(こい)となるのは時代、地域、画材も異なる三点。葛飾北斎《須佐之男命厄神退治之図》(関東大震災で焼失 大型絵馬1845年 牛嶋神社旧蔵)、《大坂冬の陣図屏風》(紙本淡彩、江戸時代19世紀の模本 東京国立博物館 17世紀の原本は不明)、クロード・モネ《睡蓮、柳の反映》(油彩・カンヴァス 1916年 国立西洋美術館松方コレクション 長らく行方不明ののち2016年下部のみ発見)。全三部となって本書を構成し、復元過程が詳述される。テレビやウェブで復元作業と完成作を観(み)た人も多いだろう。

 作業は入念に進められる。作品の来歴や時代考証、解釈といった美術史学的なアプローチにはじまり、写真撮影や模写など準備万端を整えた上でいよいよ復元。そこには手作業と技術の協働があり、モネ作品にはAIを用いている。

 しかしその驚異的な復元工程だけが本書の醍醐(だいご)味ではない。失われたものに向かい合う筆者の経験とそこから導き出される哲学的思索が随所にちりばめられ、奥深さを与えている。そのエッセンスは「おわりに」にある。復元とはかつて存在していた対象を写し、現前させることに他ならず、この「うつし」を通して、過去の他者と出会い、メッセージを受け取る、と。こうした身体的コミュニケーションが生命の連鎖を育むのだ。デジタル時代に警鐘を鳴らしつつ、この技術の可能性を示唆する刺激的な書である。(中央公論美術出版、3960円)

読売新聞
2024年6月7日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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