強盗殺人事件に遭遇した日から、日常が一変する。猫探偵・ホームズ嬢の大人気シリーズ第47弾!――『三毛猫ホームズは階段を上る』赤川次郎 文庫巻末解説【解説:山中由貴】

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三毛猫ホームズは階段を上る

『三毛猫ホームズは階段を上る』

著者
赤川 次郎 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041150221
発売日
2024/05/24
価格
858円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

強盗殺人事件に遭遇した日から、日常が一変する。猫探偵・ホームズ嬢の大人気シリーズ第47弾!――『三毛猫ホームズは階段を上る』赤川次郎 文庫巻末解説【解説:山中由貴】

[レビュアー] カドブン

■しもべ(人間)と猫探偵・ホームズが事件をひも解く不動の人気作
『三毛猫ホームズは階段を上る』赤川次郎

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

強盗殺人事件に遭遇した日から、日常が一変する。猫探偵・ホームズ嬢の大人気シ...
強盗殺人事件に遭遇した日から、日常が一変する。猫探偵・ホームズ嬢の大人気シ…

■『三毛猫ホームズは階段を上る』文庫巻末解説

解説
山中 由貴(TSUTAYA中万々店)

 世には自分で扉を開けたりお手をしたりする賢い猫がいるというけれど、さすがにホームズ嬢にかなう猫はいないだろう。人間のことばこそ喋らないけれど、人間の行動を理解し、犯罪のトリックを推理し、しもべ(人間:片山刑事)をあやつる術まで心得ているのだから。

 猫探偵が活躍する赤川次郎さんの不動の人気作「三毛猫ホームズ」シリーズの第一弾は、ご存じ『三毛猫ホームズの推理』だ。
 大学教授の飼い猫だったホームズが、片山義太郎刑事にくっついて学内の事件を見聞きする。教授亡きあとホームズは片山とその妹・晴美とともに暮らすようになり、晴れてふたりと一匹のトリオが生まれるのだ。ホームズが奇想天外なトリックを見破って、まさかの方法でそれを片山に伝えたときの驚きといったら! しかも、そのホームズのしぐさでぴんとひらめき真相にたどりつく片山刑事も、普段のほほんとしているくせに存外頭の回転がはやい。

『三毛猫ホームズの推理』が誕生したのは一九七八年だというから、わたしよりも年上だ。なぜこんなにも長く愛されているのか。それはやはり、猫が人に指図するさまを、人間自身が小気味よいと感じてしまうからではないだろうか。
 わたしも猫にかしずく人間のひとりで、うちには三匹の猫がいる。かまってほしいときだけご機嫌に寄ってきて、撫でることを許す、食事の提供を急かす、人間が猫のもたれかかるクッションになることはもう決まっている、みたいな態度だ。それを「おおなんと気高い」とよろこんで言いなりになる、それが猫のしもべたる人間共通の精神だ。
 まして人間の犯罪を暴くホームズともなれば、「おお、おおなんと聡明な」と敬わずにはいられない。
 そしてむろん、物語のなかの人間関係の妙も魅力のひとつである。愛憎の機微をさらりと描く著者ならではの風のようなタッチは、ふと本を手にとるときの決断にも軽さを与えてくれる。ああ、久々に読んでみようかな、とか、片山刑事や妹の晴美は元気にしてるかな、くらいの気持ちで新たな作品を迎えることができるのだ。
 はじめて読んでみるという人にだってきっと、安心感があるのではないだろうか。こんなふうに誰もが旧友に会うみたいな気持ちで読むことができるなんて、なによりも得がたい作品だと思う。

 シリーズ第四十七弾となる本作『三毛猫ホームズは階段を上る』は、主婦が強盗の現場に居合わせるところからはじまる。
 五歳の娘、愛衣をつれて雑貨店に立ち寄った直井みすずは、男が店主の老人を拳銃で撃って殺すところを目撃してしまう。男はあわてて立ち去り、駆けつけた向かいのコーヒーショップの女性店員によって通報がなされた。近くにいた警官、近藤も騒ぎを聞きつけすぐにやってきて、それ以上の被害もなくその場は無事おさまった。しかしコーヒーショップで事情聴取を待つみすずは、本来ならなによりも子どもと自分の命が助かったことに安堵しそうなものだが、そんなことよりももっと気にかかる用件で頭がいっぱいなのだった。はやく義母のもとに行かなければならない。
 事情聴取にやってきた片山刑事はみすずの焦りを感じとって、彼女の義母の家まで母子を送り届けるが──。
 この場面の片山がとても好きだ。そう思いませんか。きっとほんとうならどんな事情があっても聴取が優先されるだろう。片山は誰に対してもフラットでやさしく、さりげない言動に温かみがあって素敵なのだ。
 みすずの夫の母親、直井ミツ子は、刑事とともにやってきた彼女に異様な剣幕で当たり散らす。みすずの夫も姑も、嫁である彼女をこき使っている。義母の家の掃除や洗濯、食事の支度など、ひとりで家事をこなさなければならない。みすずは強迫観念に駆られ、ただそればかりで頭がいっぱいだ。片山が帰ったあとの彼女の心境は、どんなだったろう。
 しっかり目に焼きついた犯人の顔。
 言わなければならないことを言わないまま、みすずはしばし立ち尽くす。
 そしてそれが、この物語を動かすいちばん大きな歯車になる。

 事件を通してみすずの心がどう動いていくのか、さらりと書かれる文章からすべては読み解けない。しかし、そのミステリアスさが読者を引きずり込んでいく。
 みすずが変わったのは、職場の主任との会話がきっかけだった。夫の不貞を知って泣いている彼女に声をかけたのは木田安代という上司で、みすずの身の上を聞いて「普通じゃないわよ」ときっぱり断言してくれる。それでやっとみすずは、自分がかわいそうだと思えるのだ。
 読み終えたあと、安代の励ましのことばが鍵となるこのシーンはいっそう印象に残る。しかしふと気がゆるんだのもつかの間、みすずのまわりで新たな凶事が起こるのだ。
 はかなげで幸薄い印象だったみすずがどんどん強くしなやかになっていくのは、小気味よくもあり、不穏でもある。どこかうっすらと怖ささえ感じながら、その魔性に惹きつけられていく。
 これは、今まで抑えつけられ我慢しつづけてきた女性が自分をとり戻し、大きくさま変わりしていくおはなしなのだ。
 みすずだけではない。
 この物語にはさまざまな“強さ”を持った女性が多く登場する。
 コーヒーショップの店員でみすずを介抱した丘久美子は、店長の酒井との「特別な仲」を終わらせて潑剌と歩み出す姿が頼もしい。みすずの夫・直井英一の恋人、浅倉綾も、みすずの職場に乗り込んで宣戦布告してくるつわものだ。婚約者の男があてにならないとわかっていながら妊娠を告げる矢吹美紀だって肝が据わっている。先述の木田安代もそうだし、物語後半で思わぬ活躍を見せる晴美もまた、長年のファンはすでにご存じだろうがたくましい。
 彼女たちはそれぞれにチャーミングで親しみ深い存在だ。
 男性に依存しない、なにかに束縛されない、自分を信じて自分らしくふるまう。
 おなじ女性として、わたしはそれがどんなにむずかしく、素晴らしいことか知っている。

 冒頭の事件自体はすぐに読者に内情が明かされる。しかし、片山たちにはそうではない。
 強盗事件の犯人、前田哲二は自分の顔を目撃したみすずを探し当て、彼女に接近していく。もしもみすずが片山にすぐに犯人について証言していたら、この展開はまったく違ったものになっただろう。これほど殺人が連鎖することはなかったかもしれない。
 前田哲二とみすずが出会い、殺人犯と目撃者としてではない関係になっていくこともなかったはずだ。
 なぜみすずの周囲で、そして強盗殺人事件の遠い関係者のあいだで、こんなにも人が死んでいくのか。両者に共通するつながりはあるのか。
 わたしは早々に考えることを放棄した。というより、じっくり考える間もなくストーリーが急変していく。その力技でぐんぐん読まされていく。
 まさか主要人物として数にいれてもいなかった○○が再び登場するとは──。
 これから本作を愉しむ方には、ぜひわたしよりも注意深く読んでほしいと思う。

 さて、猫派のわたしはホームズについても最後に書いておきたい。
 謎めいた展開のなかで猫であるホームズが果たす役割は、推理ばかりではない。
 ホームズが片山や晴美のお供をするのが、ストーリー上も、読者にとっても、あたりまえすぎるほどあたりまえになっているのは承知のうえで、あえて言わせてもらおう。
 殺害された人間の通夜にまでひょっこり登場するなんていかがなものか、と。
 思わず吹き出してしまったじゃないか。
 シリアスな場面にホームズがやってくるとそれだけで気持ちの半分がずっこけるのは、もちろん赤川次郎さんの狙いなのだろう。わかっていてもつっこみたくなるその可笑しみは、まさに著者のおおらかさ所以だと思う。お会いしたことなどないけれど、かしこまるのが苦手な、サービス精神旺盛な、にこにこしながら読者を眺めているような、そんな人なんじゃないか、と勝手に想像してしまう。きっとあなたもそうだよね?

KADOKAWA カドブン
2024年05月27日 公開 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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