ガルシア=マルケスの世界的なベストセラー 歴史的傑作『百年の孤独』試し読み

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ガブリエル・ガルシア=マルケス(Photo (C) LM.PALOMARES)

ノーベル文学賞作家のガブリエル・ガルシア=マルケスの代表作『百年の孤独』の文庫版が発売された。文庫化発表直後から話題となり、ソーシャルメディアでは「文庫化されたら世界が滅びる」と噂されてトレンド入りしていた。

1967年にブエノスアイレスのスダメリカナ社から出版されるや否や、「マジック・リアリズム」というキーワードともに世界中を席巻し、あまたの作家がその影響下にあることを公言している。現在までに46の言語に翻訳され、5000万人が読んだとされ、2022年にはNETFLIXが宿願叶って映像化権を獲得したことも記憶に新しい。

ここでは特別にその冒頭部分を公開する。

 ***

 長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない。マコンドも当時は、先史時代のけものの卵のようにすべすべした、白くて大きな石がごろごろしている瀬を、澄んだ水が勢いよく落ちていく川のほとりに、葦と泥づくりの家が二十軒ほど建っているだけの小さな村だった。ようやく開けそめた新天地なので名前のないものが山ほどあって、話をするときは、いちいち指ささなければならなかった。毎年三月になると、ぼろをぶら下げたジプシーの一家が村のはずれにテントを張り、笛や太鼓をにぎやかに鳴らして新しい品物の到来を触れて歩いた。最初に磁石が持ちこまれた。手が雀の足のようにほっそりした髭っつらの大男で、メルキアデスを名のるジプシーが、その言葉を信じるならば、マケドニアの発明な錬金術師の手になる世にも不思議なしろものを、実に荒っぽいやりくちで披露した。家から家へ、二本の鉄の棒をひきずって歩いたのだ。すると、そこらの手鍋や平鍋、火掻き棒やこんろがもとあった場所からころがり落ち、抜けだそうとして必死にもがく釘やねじのせいで材木は悲鳴をあげ、昔なくなった品物までがいちばん念入りに捜したはずの隅から姿をあらわし、てんでに這うようにして、メルキアデスの魔法の鉄の棒のあとを追った。これを見た一同が唖然としていると、ジプシーはだみ声を張りあげて言った。「物にも命がある。問題は、その魂をどうやってゆさぶり起こすかだ」。自然の知慮をはるかに超え、奇跡や魔法すら遠く及ばない、とてつもない空想力の持ち主だったホセ・アルカディオ・ブエンディアは、この無用の長物めいた道具も地下から金を掘りだすのに使えるのではないか、と考えた。「いや、そいつは無理だ」と、正直者のメルキアデスは忠告した。しかし、そのころのホセ・アルカディオ・ブエンディアは正直なジプシーがいるとは思わなかったので、自分の騾馬に数匹の仔山羊を添えて二本の棒磁石と交換した。妻のウルスラ・イグアランはこの仔山羊をあてにして、傾いた家の暮らし向きをどうにかする気でいたが、その言葉も夫を思いとどまらせることはできなかった。「いいじゃないか。この家にはいりきらないほどの金が、明日にもわしらのものになるんだ」。これが夫の返事だった。彼は何カ月も、自分の推測の当たっていることを証明しようと夢中になった。メルキアデスのあの呪文を声高くとなえながら、二本の鉄の棒をひきずってあたり一帯をくまなく、川の底まで探って歩いた。ところが、そうまでして掘りだすことのできたものは、わずかに、漆喰で固めたようにどこもかしこも錆びついて、小石の詰まったばかでかい瓢箪そっくりのうつろな音がする、十五世紀ごろの出来の甲冑にすぎなかった。ホセ・アルカディオ・ブエンディアと四人の男が苦労してばらしてみると、女の髪をおさめた銅のロケットを首にかけ、白骨と化した遺体がなかからあらわれた。

 ふたたび三月になり、ジプシーたちが舞い戻ってきた。こんどは一台の望遠鏡と太鼓ほどの大きさの一枚のレンズを持ちこんだ彼らは、アムステルダムのユダヤ人の新発明とうたって品物を公開した。仲間の女を村のはずれに立たせ、望遠鏡をテントの入口にすえた。村人たちが五レアルのお金を払ってのぞくと、ほんとうに手の届きそうなところに女の姿があった。メルキアデスは吹聴した。「科学のおかげで距離なんてものは消えた。人間がわが家から一歩も外に出ないで、地上のすべての出来事を知ることができる日も、そんなに遠くはない」。また、巨大なレンズを使った驚くべき実験が、焼けつくような日射しの正午をえらんで行なわれた。通りのなかほどに枯れ草を山と積んでから、太陽光線を集めて火をつけてみせたのだ。例の磁石の失敗でおうおうとして楽しまなかったホセ・アルカディオ・ブエンディアは、この品物を兵器として利用することを思いついた。こんどもメルキアデスは引き止めにかかったが、結局、レンズと引きかえに、二本の磁石の棒と植民地時代の古い金貨三枚を受け取ることになった。ウルスラは気落ちし、泣いた。実はその金貨は、父親が苦しいなかで一生かかって貯め、彼女自身がいざという時の用意に、箱に入れてベッドの下に埋めておいたものの一部だった。そんな彼女にやさしい言葉ひとつかけないで、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは軍事上の実験に没頭した。科学者にふさわしい献身ぶりを示し、生命の危険さえかえりみなかった。敵の軍隊に及ぼすレンズの効果をはかるために、焦点を結んだ太陽光線にわざわざ体をさらし、崩れて容易に治らぬほどのやけどを負った。この危険な発明ごっこに驚いて文句をいう妻のほんとに目の前で、火事を出しかけたことさえあった。何時間も部屋にこもって新兵器の性能について計算をくり返し、やがて、教育という見地からみて驚嘆に値する明確さにつらぬかれ、有無をいわさぬ説得力をそなえた一冊の提要を書きあげた。そして、実験にもとづく多数の証拠と数枚の図解をそれに添え、飛脚に託して当局まで差しだした。飛脚は山越えをしたり、深い沼地にわけ入ったり、急流をさかのぼったり、野獣や絶望や悪疫のために一命を失いかけたりしたあげく、やっと駅馬と連絡する道までたどり着いた。当時はまだ首府への旅行はほとんど不可能な状態だったが、軍関係者の前で新兵器を実地に公開し、太陽戦争の複雑な技術を手ずから教えるためならば、政府の命令が届きしだいそちらへ出向いてもよいとさえ、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは書き送っていた。何年も返事を待った。とうとうしびれを切らし、彼の創意もみじめな失敗に終わったことをメルキアデスの前で嘆いた。するとジプシーはその誠実さを証明するように、レンズと引きかえに金貨を返してよこしたばかりか、数枚のポルトガル渡来の地図と若干の航海用の器具をゆずってくれた。さらに、天文観測儀や羅針盤や六分儀などが扱えるようにと言って、自分で筆をとってヘルマン師の研究をまとめたもの――これがまた厖大なものだった――を渡してくれた。ホセ・アルカディオ・ブエンディアは、誰にも実験の邪魔をされないように奥にもうけた狭い一室にこもって、長い雨期をすごした。家の仕事からはまったく手を引いて、天体の運行を観測するために中庭で徹夜をし、正午をはかる精密な方法をきわめようとして日射病で倒れかけた。やがて器具の扱いに慣れた彼は、空間というものをはっきり理解し、自室を離れるまでもなく未知の大海原で船をあやつり、人煙まれな土地を訪れ、すばらしい生き物と交わることもできるようになった。そしてそのころから、ウルスラと子供たちが畑でバナナや里芋、タピオカや山芋、南瓜や茄子の手入れに汗水たらしているというのに、ぶつぶつ独りごとを言ったり、誰とも口をきかずに家のなかをうろうろするという、おかしな癖が始まった。突然、なんの前触れもなく、それまでの熱に浮かされたような仕事ぶりがやんで、一種の陶酔状態がとって代わったのだ。数日のあいだ物に憑かれたようになって、自分の頭が信じられないのか、途方もない推理の結果を独りつぶやいていた。やがて十二月のある火曜日の昼飯どき、彼はその胸につかえていたことをいっきに吐きだした。恐らく子供たちは、テーブルの上座にすわった父親が長いあいだの不眠と、たかぶる妄想にやつれた熱っぽい体を震わせながら、彼のいわゆる新発見を打ち明けたさいの、あの厳粛きわまりないおももちを生涯忘れなかったにちがいない。
「地球はな、いいかみんな、オレンジのように丸いんだぞ!」

(以上は本編の一部です。詳細・続きは書籍にて)

ガブリエル・ガルシア=マルケス
1927年コロンビア生まれ。ボゴタ大学法学部中退。新聞記者として欧州各地を転々としたのち、55年に処女作『落葉』でデビュー。67年に『百年の孤独』を刊行すると、一躍世界的な注目を集める作家となる。『族長の秋』『予告された殺人の記録』『コレラの時代の愛』『迷宮の将軍』など次々と歴史的傑作を発表し、82年にはノーベル文学賞を受賞した。

新潮社
2024年6月26日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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