映画「幸福の黄色いハンカチ」の原作者ピート・ハミルを看取ったノンフィクション作家の手記 『アローン・アゲイン 最愛の夫ピート・ハミルをなくして』試し読み

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青木冨貴子さんとピート・ハミルさん(photo by Deirdre Hamill)

 何をみてもあなたを思い出す。眼差しや仕草、出会った日から最期の表情まで――その記憶を抱きしめながら、わたしは「ふたたび一人」で生きていく。パートナーを看取った後の穏やかな覚悟を心の筆で書き留めた手記『アローン・アゲイン 最愛の夫ピート・ハミルをなくして』(新潮社)が刊行された。

 日本では映画「幸せの黄色いハンカチ」の原作者としても知られる、作家でジャーナリストのピートさん。惚れ抜いた夫を看取ったいま、青木さんの心に浮かぶ「切なる想い」とは――。今回は本書の序章にあたる「何を見てもあなたを思い出す」の一部を公開する。

「何を見てもあなたを思い出す」

 2020年8月に夫がいなくなってから2年を過ぎる頃まで、何を見ても彼を思い出す日々が続いた。スーパーマーケットで緑のぶどうを見れば、それを毎日食べていた姿が目に浮かんだし、ダイエット・ペプシのボトルを見れば、仕事机の上にいつも置かれていた氷いっぱいの大きなグラスを思った。
 わたしはそういう“もの”を見ないように試みたが、思いがけず目に入ることもある。まして場所とか建物などは避けきれるものではない。そのなかでもいちばん困るのがブルックリン・ブリッジだった。
 わたしたちが暮らしたブルックリンとマンハッタンを結ぶ橋で、イーストリバーの上にかかっている。夫はこの橋が大好きだった。
「この橋はいちばん古くていちばんきれいなんだ!」
 ひとりで渡るようになっても、嬉しそうな彼の声が聞こえてくるようだ。この橋はアメリカでもっとも古い吊り橋の一つだし、鋼鉄のワイヤーを使った世界初の橋なんだよ――。
 夫の最後の4年間をわたしたちは彼の生まれ故郷ブルックリンで暮らした。それまではマンハッタンの先端に近いトライベッカのロフトに20年近く住んでいた。アメリカでは、倉庫や工場をリノベーションした住宅をロフトと呼んでいる。天井が高く、内部を好きにデザインできるので、彼の2万冊近い蔵書を入れる本棚を並べられたし、ふたりの仕事部屋のスペースもとれた。
 夫は大病した後でブルックリンに住みたいと言い出した。「ゴーイング・ホーム」。誰しも最後には故郷に帰りたいと願う本能があるのかもしれない。実はそれまでにも時々、そんな言葉を発していたのだが、わたしは知らん顔していた。あまりに荷物が多すぎて、引っ越しなど考えただけでもうんざり。とはいえ、長い入院生活から車椅子でようやく帰ってきた彼の、か細くなった声で真剣に訴える願いには、ついに「ノー」といえなくなった。
 ブルックリンはすっかり人気のエリアになったので家賃も上がり、なかなか住めるようなアパートはなかった。初めの2年は「Coop」と呼ばれる共同所有の大きなアパートにいたが気に入らず、それでも根気よく物件を探すうちに、19世紀に建てられた褐色砂岩(ブラウンストーン)5階建の1、2階デュープレックス(階段でつながっているタイプの物件)が見つかった。
「庭のある家で本を読んで過ごしたい」というのが夫の願いだった。

 わたしの夫はピート・ハミル。
 日本では映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」の原作者として知られるが、米国ではベトナム反戦運動が盛んだった60年代、いち早く反戦を訴え、市民の声を代弁するコラムニストとして、ニュージャーナリズムの旗手として大いに健筆をふるった。ニューヨーカーの横顔を描く短編のほか小説も発表、自らの半生を描く『ドリンキング・ライフ』、歴史小説『フォーエヴァー』などがベストセラーとなった。
 コラムニストとして活躍していた頃、ピートはプロスペクト公園に面した大きな家に住んでいた。この家は当時から数倍以上値上がりしており、本人も手放したことをしきりに後悔していた。
 その点、褐色砂岩のアパートは彼の希望にほぼ沿ったものだった。大きな庭があるし、2階には庭を見下ろすバルコニーがある。唯一の難点は家賃が予算を遥かに超えていることだったが、清水の舞台から飛び降りる覚悟で借りることにした。
 わたしたちはここで最後の2年を過ごし、彼がいなくなった後、わたしは長く住んでいたトライベッカのロフトへ戻って、ひとり暮らしをするようになった。
 ピートが天に召されたのは2020年8月5日。わたしは毎月5日になると、花束をもってブルックリンのグリーンウッド墓地を訪ねる。最寄りのキャナル・ストリート駅から墓地へ向かうと、その急行はマンハッタン・ブリッジの上を走ることになり、西側にかかるブルックリン・ブリッジが自然と目に入る。

以上は本編の一部です。詳細・続きは書籍にて

青木冨貴子(あおき・ふきこ)
1948(昭和23)年東京生まれ。作家。1984年渡米し、「ニューズウィーク日本版」ニューヨーク支局長を3年間務める。1987年作家のピート・ハミル氏と結婚。著書に『ライカでグッドバイ──カメラマン沢田教一が撃たれた日』『たまらなく日本人』『ニューヨーカーズ』『目撃アメリカ崩壊』『731─石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く─』『昭和天皇とワシントンを結んだ男──「パケナム日記」が語る日本占領』『GHQと戦った女沢田美喜』など。ニューヨーク在住。

新潮社
2024年5月7日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「週刊新潮」「新潮」「芸術新潮」「nicola」「ニコ☆プチ」「ENGINE」などの雑誌も手掛けている。

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