春は出会いの季節だ。新入生、新社会人など、新たな人間関係を築く時期である。しかし、人間関係には悩みがつきものだ。友達が何を考えているか分からない。同僚が予想外の行動をする。そんなことが何回も続くと、人と関わるのが憂鬱になってくる…。
こうした人間関係について、哲学者による「他者」への考え方を知ることで、悩みを軽くすることができるかもしれない。
『1日10分の哲学』の著者である比較文学者の大嶋仁氏曰く、日本語では自分以外の人のことを「他人」という。ならば「他人」の反対語は自分かというと、そうでもなく「身内」といい、「他人」は排除の対象であるそうだ。では、「他者」はどうなのだろうか? フランスの哲学者・精神分析家として知られるラカン、そして現代フランスを代表する哲学者であるレヴィナスの「他者」への考え方から、人付き合いのヒントを探してみよう。
(※以下は『1日10分の哲学』の一部を引用・再構成しました)
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- 1日10分の哲学
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自分ではない存在の「他者」と、甘美なる「自他同一」
ラカンのいう「他者」は大文字で出てくる。個々の他者ではなく、「自分ではない存在」という広い意味で、この大文字の他者との関係の中で自我は形成されるというのである。
子どもにとっては親や兄弟が他者との出会いの始まりであるが、まだ言葉を話せないうちは自分と他者の区別はつかない。自他同一の段階である。
それが言葉を覚えて自他の区別がつくようになる。徐々に、自分と他者のちがいもわかってくる。しかし、自他同一の段階の甘美さは忘れられない。そこで甘えようとしたり、わがままになったりするのだが、他者は必ずしもそれを許さない。そこで葛藤が始まる。
大人になるとはこの葛藤を引き受けることであり、自己と他者との関係の中で自己をつくり出すことなのである。
以上のことは当たり前のことであって、特別なものはなにもない。ないのだが、それでも人はこれを忘れる。そして、他者との関係を煩わしく思い、もっと楽しい別の関係がほしくなる。
しかし、その楽しい関係は、実は幼少期に脱したはずの自他同一の楽しさの代用品であって、決して心を満たさない。二度と同じところへは戻れないのだ。大人になるとは、この真実を受け入れることなのである。
だいぶ前に見た香港のヤクザ映画で忘れられない場面がある。一人娘を暴力団に殺された元ヤクザの親分が、いつまでも死んだ娘の肖像写真を拝んでいる。そこへやって来た若い元子分が、その写真を破り捨てる。元親分が仰天してその元子分を見つめると、「親分、いつまでも写真にしがみついてどうするんです。娘さんは帰ってこない。親分らしくねえですぜ。写真なんか捨てて、やるべきことをやらにゃ」と言うのだ。軍団を立て直し、復讐しましょうというわけだ。
この場面が忘れられないのは、写真を見て失われた過去にしがみつくより、現実の中で自己を立て直せという考えを鮮明に打ち出しているところだ。自他同一の幸福は二度と戻らない。ならば、幸福を新たに創造しなくてはならないのだ。
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