『タモリ倶楽部』の放送作家が明かした“流浪”の制作現場 「ネーミングセンスのくだらなさは、ある意味極北」【極私的「タモリ倶楽部」回顧録】

エッセイ・コラム

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ネーミングセンスのくだらなさは、ある意味極北

「タモリ倶楽部」の22年間で強く思い出に残っていることは枚挙にいとまがないが、小さな作業かもしれない「遊び心のあるネーミング作り」が私は好きだった。

「イージーリスニング曲名あてクイズ」という回(92年9月)で、誰もが聴いたことがあるインストゥルメンタル曲のタイトル(「オリーブの首飾り」「ポップコーン」など)を当てるものだが、ディレクターから「気の利いた副題が欲しい」と言われ、少し考え私は「軽音楽をおまえに」と答えた。

 当時まだ放送中のNHK-FMの番組「軽音楽をあなたに」とフランク永井の往年のヒット曲「おまえに」を安易にくっつけたものだったが、我々はゲラゲラ笑いながら台本にそのタイトルを書き込んだ。

「全日本排便時下半身むきだし連盟」(97年3月)という回ではそういった習慣がある人たちが集まり、みずからを「かむき連」と名乗る台本を書いた。こういった堅苦しい名前の団体を勝手に作り、ちょっと間抜けな語感の略称を名乗らせるというワンセットの作業は楽しかった。

 江戸古地図愛好家のタモリが、同じ趣味を持つエレファントカシマシの宮本浩次と、持参した古地図を手に都内を巡るという回(97年12月)は、オープニングで進行役の松尾貴史が岡っ引き姿で「今宵の月のように」を歌いながら入ってきて、「このたび『古地図東京探訪連絡会』を結成したので入会しませんか」とタモリと宮本を誘う。

 この回のタイトルは「こちとら会PRESENTS 古地図で東京探訪」である。しかし「古地図」「江戸」「こちとら江戸っ子でい」の連想からなる「こちとら会」というネーミングセンスのくだらなさは、ある意味極北と言っていいだろう。一番笑っているのは我々スタッフなのだ。

「こちとら会プレゼンツ古地図で東京探訪」の舞台裏

 そして、この回は私が収録に立ち会ったものの中で最も印象に残った一本である。当時30歳前後のロックミュージシャン宮本浩次が「古地図」という一点で我らがタモリと熱く繋がっている様子を間近で目撃する迫力、収録の合間に宮本さんから「このセリフは嬉しそうにいった方がいいんですよね」と訊かれ、「そうです」と答えたこと(ディレクターたちは現場では多忙、立ち会う作家は暇だから)。

 ロケバスで港区、湯島、王子、などを巡り、江戸時代創業の割烹でエンディングを収録、宮本浩次は「寒き夜」を弾き語りで熱唱。歌い終えたあと「僕はもう歌手に専念します」と笑顔で答えた。

 当時私は「なぜ『音楽』などでなく『歌手』と?」とも思ったが、現在までに宮本浩次はエレファントカシマシのボーカリストとしてはもちろん、どの歌手のどの時代の楽曲も日本一感動的に歌う歌手であることは衆目の一致するところだろう。

「タモリ倶楽部」の収録に立ち会ったおかげで、ちょいとした音楽史に残る名台詞を生で聞くことができました。

 タモリは宮本に「また今度やりましょう」と言葉を投げかけた。本当にまたどこかでやればいいのにと思う。
 
 
 そういった「タモリ倶楽部」を「ライター」としての私が今どう感じているのか次号にお送りします。

中篇につづく

 ***

高橋洋二(放送作家)
1961年生まれ。1984年より放送作家、ライターに。「吉田照美のてるてるワイド」「近藤真彦マッチとデート」「ホットドッグプレス」などでキャリアをスタート、以降「タモリ倶楽部」「ボキャブラ天国」「爆チュー問題」「サンデージャポン」「小説新潮」などで執筆。著書に「10点差し上げる」(大栄出版)「オールバックの放送作家」(国書刊行会)など。

初出:「波」(2023年6月号)

新潮社 波
2023年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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