狙撃された「國松長官」が語った“警察最大の反省点”…オウム真理教事件で組織はどう変わったか

エッセイ・コラム

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 さて、『沙林 偽りの王国』についてである。今まで述べてきたような経緯があって、本書の「解説」を引き受けてしまったが、私に、文芸評論家の方々などが書く作品の内容に深く迫る「解説」など書ける訳がない。精々、「読後感想文」の類に終わるであろうことは、あらかじめお断りしておかなければならない。

 一連の「オウム真理教事件」は、1989年11月4日に発生した「坂本弁護士一家殺害事件」を始め、1994年6月27日発生の「松本サリン事件」、1995年3月20日発生の「東京・地下鉄サリン事件」など多数の事件を総称するもので、29名の死者と6000名を超える負傷者を出し、起訴された被告人の数は192名、うち、死刑を宣告された者の数は13名に及ぶという前代未聞の大事件である。これまで多くの論者が、様々な立場から、この事件について書き記し、論評を加えてきた。私も立場上、そのいくつかに眼を通しているが、内容的には、ピンからキリまでというか、玉石混交である。

 そうした中で、本書は、サリンの存在と使用を最初に看破して「オウム真理教事件」についての医学的な解明と治療対策の確立を主導された井上尚英・九州大学医学部教授から綿密に取材したであろうところに依拠しながら、「医学者」の視点に立って、膨大な事件群を時系列的によく整理して記述・分析しており、第一級の質をもつものと高く評価できる。

 帚木さんは、本件に関する警察の捜査について、「遅い」、「連携がとれていない」など、痛烈な批判を加えておられる。そのひとつひとつについて、ここで、反論や弁解をするつもりはない。確かに、例えば、「坂本弁護士一家殺害事件」の捜査がもう一歩早く進展していたら、「地下鉄サリン事件」は防げたのではないかという思いは、警察当局としても深い悔恨の念と共に共有しているところである。

 ただ、本件の捜査運営の責任者であった者として、事件後に手を打ったことについて、ひとつだけ申し述べておきたいことがある。それは、「管轄(かんかつ)権」の問題である。日本の警察は、都道府県単位で動くことになっており、事件の捜査は、その事件の発生した場所を管轄する都道府県警察が担当するのが大原則である。「オウム真理教事件」の場合、1995年2月28日に「假谷清志(かりやきよし)・目黒公証役場事務長逮捕監禁致死事件」が発生するまでは、警視庁管内における事件の発生はなかった。この假谷さん事件の発生により始めて、全国警察の中で人員・装備の両面において最大の力量を誇る警視庁が、事件を主体的に捜査する管轄権を得ることになり、「オウム真理教」に対し組織の総力をあげて対決する態勢をとることができるようになったのである。

 しかし、捜査着手のための諸準備を進めている最中の3月20日、「地下鉄サリン事件」の発生を見てしまった。

 この「管轄権」の有無の問題は、「オウム真理教事件」により露呈された警察法上の最大の反省点であった。警察庁は、事件後、直ちに警察法の改正を国会に上程し、都道府県警察は、「オウム真理教事件」のような「広域組織犯罪等」が発生したときは、それを「処理するため、必要な限度において、その管轄区域外に権限を及ぼすことができる」(警察法第60条の3)ことを明確に定め、「警察庁長官は、広域組織犯罪等に対処するため必要があると認めるときは、(中略)警察の態勢に関する事項について、必要な指示をすることができる」(同法第61条の3第1項)よう法改正を行った。この警察法改正(1996年6月5日公布)により、爾後(じご)、全国の警察は、オウム真理教事件のような広域組織犯罪等が発生したときは、事件の管轄権の有無にかかわらず、警察庁長官の指示の下、オールジャパンの体制をとって臨むことが出来るようになったのである。
 
 

新潮社
2023年9月 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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