「オウム真理教事件」において、死刑の宣告を受けた13名の被告人達は、2018年7月6日と同月26日、時の上川陽子法務大臣の英断により、一挙に死刑を執行され、刑事事件としての「オウム真理教事件」はこの時をもって終結した。
この法相の果敢な措置は、一連の大事件に一気にケリをつけたものとして高く評価される反面、「オウム真理教にまつわる諸々は、もう全て終わり」という印象を世間一般に与える効果を生んだ側面がある。このときを境に、オウム真理教事件は、急速に人々の記憶から薄れていった。
しかし、決着がついたのは、刑事事件としての「オウム真理教事件」であって、事件の背景をなす諸相の解明は、少しもついていない。何故、高度の学業を修めた知的レベルの高い者がかくも容易に麻原ごとき誇大妄想狂の言説に惑わされたのか、「宗教」というものの持つ「洗脳力」はどのように理解すべきものか、さらには、この種事件の再発を防止するために日本社会はどのような総合的対策を立てなければならないか等々、今後、全社会的に検討しなければならない重要課題は、ほぼ手付かずのまま残っていると言わざるを得ない。
帚木さんは、本書の中で、事件捜査に関する情報が、「総合的、俯瞰的に一元管理されておらず、組織間の横の連携がとれないまま処理されていること」を痛烈に批判しておられる。
この批判は、正鵠(せいこく)を射ていると思う。本書の中では、そうした批判は、もっぱら警察捜査に向けられているが、今後検討されなければならない課題に取り組む場合にも、同じ轍(てつ)を踏まないように心すべきことである。
これまでにも、個別の研究者が優れた調査研究を行った事例はないではない。しかし、各関係分野の専門家たちが横の連携を取りながら、事件の背景を含めた全体像に関し、「総合的・俯瞰的・横断的」な調査研究を行ったということはなかったのではないか。
今後必要になってくるのは、まさに、そういう総合力の発揮である。それがあって始めて、この「オウム真理教事件」という未曾有(みぞう)の大事件の全容が明らかにされ、その教訓を後世に残る形で示すことが出来るのだと思う。
刑事政策や刑事法の専門家だけでなく、社会心理学、精神医学、薬学、化学兵器部門など、各関係分野の専門家が横断的に連絡をとりながら、今後取るべき社会全体としての対応策を調査研究することは極めて重要である。官・民・学合同の「総合調査研究会」のようなものの設置を検討することも推奨されてよい。
その場合、調査研究のための資料の宝庫となるのは、「オウム真理教事件」に関する膨大な裁判記録である。
「オウム真理教事件」に関しては、上川法務大臣が、13名の死刑執行後の記者会見で、「通常の保管期間満了後も『刑事参考記録』に指定し、永久保存するよう指示した」ことを明らかにし、「二度とこのような事件が起きないようにするための調査研究の重要な参考資料になり得る」と述べたことが報じられた。
是非、この指示のとおりに、裁判記録の保管・管理の実務の現場が、動いていることを望むが、はたして実際はどうであろうか。最近、世間を騒がせた重大事件の裁判記録が、裁判所の事務担当者の無思慮な取扱いによって廃棄されてしまったというニュースを聞くにつけ、いささか心配になる。
増え続ける膨大な裁判記録の保管場所をどのように確保するか、資料へのアクセスを容易にする「一元的な管理」をどのように実現するかなど、現場的に解決しなければならない課題はたくさんある。
いずれにしても、裁判記録が適正に保管・管理され、それらの記録に研究者たちが必要に応じ自由にアクセスできることを制度的に保障する仕組みを作るのは大切なことである。
個人情報保護との関係で難しいことがあるのであれば、必要な立法措置を取ることも検討されるべきである。
帚木さんが、本書の中で主張し、指摘しておられる諸点は、これから、「オウム真理教事件」の全貌(ぜんぼう)を解明し、そこから得られる教訓を社会全体で生かしていく作業を進める上で、大いに参考になることを多く含んでいる。
本書の文庫本化が、そのことを世に強く認識させるきっかけになることを祈念して、本書の「解説らしきもの」の筆を擱(お)くこととしたい。
(2023年6月、元警察庁長官)
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