「受験なんかしない!」修羅場を経験した母娘が迎えた合格発表 慶應卒のバイト芸人が語る、家庭教師体験

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「受験なんかしない!」と言っても続けた勉強

 いつものように家庭教師に行くと、家には彼女以外誰もいなかった。訊くと、ささいなことから奥さんと口論になり、気がつくとつかみ合いの大げんかになったらしい。最終的に、彼女はやっぱり高校なんか行かない、受験なんかしないと言い放ち、両親はあきれて外に出て行ったという。

 僕は、それを聞いて反省した。彼女がそんなにナーバスになっているとは考えもしていなかった。僕は、結果もついてきているし安心しきっていた。受験前は、誰でもそうなるとわかっていたのに、なんでもっとケアしてあげられなかったんだろうと悔やんだ。

 彼女は、両親を驚かせるほどの結果をちゃんと出した。それは、彼女が地道にいままで頑張ってきた証拠だ。人生で、こんなに勉強したことはないというくらいやったはずだ。数学と理科への苦手意識も、やっと克服してきたところなのに。ここでやめてしまうのは、あまりにももったいない。

 僕は、なんと声をかけるのがいいんだろうと考えたが、何も言葉が浮かばなかった。口もとに手をやり、考え込んだまま黙ってしまった。すると、彼女は机の上に置いた問題集とノートをおもむろに開いて、いつもの勉強の態勢に入った。そして、「今日はどっからやんの?」と言って、指でペンをくるるとまわした。

 彼女は、それからさらに勉強に励んだ。模擬テストではC判定だった。でも、大丈夫。確実に合格に近づいている。合格率は60%まで来た。

 受験まで1か月を切ったとき、僕は再び彼女に提案した。状況としては、受かる可能性もあるけれど、落ちる可能性もある。半々だと伝えた。ただ、もう新しく勉強しなければならない分野はない。この1か月間が、僕たちの受験勉強だ。一般的には、入試前は苦手な分野を克服するために時間を費やす人が多い。が、僕はそれよりも、得意な分野で確実に点数を取るための勉強をするほうがいいと思うと言った。でも、これをするには勇気がいるとも。なぜなら、本番の入試で苦手な問題ばかりが並んだら終わりだからだ。

 彼女は、それでいいと即決した。僕を信用してすべて任せてくれているのか、落ちたら働くと覚悟を決めているのか。どちらにせよ、彼女は勇気がある。

 僕は、数学のテストの構造を説明した。だいたい最初は、計算問題が出る。配点は20点。ここは全部取ろう。次は、穴埋め問題か選択問題が出るはずだ。出題される分野は、絞られる。だから、この分野とこの分野は復習しよう。ここも配点は20点。全部取れる。あとは、大問が三つか四つ。ここまで来たら、いったん手を止めて、残りの問題に目を通そう。もし、苦手な分野の問題があったら、それは捨てていい。手をつける必要はない。解けそうな問題だけやればいい。ここで20点取れれば、もう60点だ。もし時間が余れば、計算ミスがないか見直そう。

 最後の1か月間は、ひたすらこのテストの解きかたを練習した。週1回と言われた家庭教師だったが、この1か月はそれ以外の日も会って一緒に勉強した。やれることは全部やった。僕も彼女も、胸を張ってそう言えた。

 入試が終わり、彼女に感想を訊いた。「まあまあ」と返ってきた。上出来だ。全然できなかったわけではないんだから。その言葉が聞けただけで、もう十分だ。あとは、結果を待つのみだ。

ピストジャム
1978年9月10日生まれ。京都府木津川市出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。大学卒業後、こがけんを誘って吉本興業の養成所へ入所(東京NSC7期生)。2002年4月にデビューし、「マスターピース」「ワンドロップ」など、いくつかのコンビを経て、ピン芸人となる。ネットメディア「FANY Magazine」で「シモキタブラボー!」を連載中。アイドルのイベントMCなどでも活躍。下北沢カレーアンバサダー。かまぼこ板アート芸人。

新潮社
2023年1月1日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「週刊新潮」「新潮」「芸術新潮」「nicola」「ニコ☆プチ」「ENGINE」などの雑誌も手掛けている。

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