(トランスジェンダー)女性が綴った葛藤「男でも女でもなく、社会問題化した“LGBTQ”でもなく、“わたし”として生きる自由を」

エッセイ・コラム

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トランスジェンダー女性として生きることのリアル

 シスにしろトランスにしろ、「わたしは女(男)です」と名乗れる人たちもいるのに、わたしにはできない。自分の声の低さや骨格などの身体の状態は規範的な「女性」とは異なるから。出産する機能を有してないから。説明しようと思えばできるけれど、本当はそんなに単純じゃない。「男」「女」という文字からわたしたちはそれが何を示しているのかわかっているように信じ込んでいるけど、すべての人を鋳型にはめようとするのは無理がある。だって声の低い女性も筋肉の薄い男性も当然いるのだから。誰がどうやって、「男/女にそぐう/そぐわない」と決められるのか。

 理屈では、性別とはあいまいなものとわかっても、わたしの中で複数の声がやまない。誰かが好ましいと言う声、誰かが似合ってないと言う声。誰かはわたしを「彼」と呼び、誰かは「彼女」とわたしを紹介する。そのいちいちに引き裂かれそう。

 シス女性の人から「自分も女性と見なされることに違和感があって」と共感を示されることがある。メイクアップや服装など身繕いに伴う義務感や、「女は慎ましやかに」とか「子どもを産むべき」とか「家事は女性の仕事」とか、そういったジェンダー規範への違和感が、素朴な共感の言葉につながるのだろうとは理解できる。けれど、男性と見なされたくないのに身体が女性的ではないという状態で、男女どちらかであるのが当然とされ、ときには実際に選択を迫られる日常の中で、何者であるか問われ続けるという経験があなたにはあるのかと尋ねたくなる。

 ホルモン投与や外科手術など、医療による身体の性別移行のガイドラインが、1990年代に日本で作られた。かつて、それに則ったジェンダークリニックで著名なある医師から、「あなたからは生き方の青写真が見えないな」と言われた。当時わたしは、ステラ・テナントに憧れたショートカットに、Tシャツにジーパンを穿いたボーイッシュな装いで、低い声で話していた。ふくよかな胸や骨盤の広い「女性的」な身体に合わせてデザインされているレディスの既製服は当時の自分には似合わないと思えていたし、鼻下や顎に毛が生えてファンデーションを塗ると青くなるんじゃないかと恐れ、「男なのに女装している」と嘲笑されるのではと不安だった。そういう、性別の揺らぎが許されるスペースのほとんどない世界で、生き抜くために当時のわたしなりに選んだ表現だった。医師は、他人の生き方を指して適切かどうか審査するような言葉を吐くだけで、寄り添ってはくれなかった。

 服装や振る舞いに女性らしさを求められるという点では、シス女性もトランス女性も同じと言える。けれどトランスは、シスを前提とした社会において、「シスではない」ということを隠そうとするか(同化)、「シスではない」と開き直るか(異化)、選ばないといけないという抑圧を受けている。

 その抑圧の実態を浮き彫りにするためには、こうして個人の身体について、経験について、明かしたくないところにまで踏み込む必要がある。しかし、今わたしがこの原稿を何度も書き直しているように、私的な、柔らかい部分を開く困難が、いつも語ることを遮る。

男/女に振り分けられない「第三楽屋」で

 わたしは2018年の11月に範宙遊泳という演劇カンパニーの作品に出演した。演出家のビジョンのための文体になることで、自分自身から距離を取る経験を積みたかった。自分で振る舞いを決め、話し方を決め、言葉遣いを決め、発声を決め、服装を決めているけれど、その作業を他人に委ねることで日常的な緊張から解かれたいと期待していた。誰かに振り付けてもらいたい。「それでは“女性”に見えない」と厳しく指導されたい。そういう欲望に駆られる。気を張るのは疲れた。誰かわたしをコントロールしてほしい。そして、リラックスし、安心して何かを作るということに没頭してもみたかった。

 しかし、そのリハーサルや上演本番を通して、役柄の属性や性格を自分と重ねて見られる危うさとわたしはずっと対峙することになった。わたしの演じた役柄は、母親は韓国人で父親は日本人のトランス女性、というとても複雑なキャラクターだった。

 客席に座って舞台を見ている。向かって左手から舞台上に俳優が登場する。ピンク色のショートボブ。茶色みのあるカーキのプリーツスカートを穿き、上半身を覆うノースリーブのトップスから腕が伸びている。肩が張って、ややたくましい。声を聞くと低く感じられる。容姿とのズレがあるように思える。

 舞台に立つ自分を、女性と判断されるだろう容姿だけれど男性的と捉えられる声質の持ち主、とわたしは想像する。そのズレが観客に違和感を与えて観劇の邪魔をするのではないかと、リハーサル中から不安を抱き続けていた。しかし、演出家の山本卓卓とは、わたし個人のトランス女性という属性を演出意図に含めるかどうか(かつ在日コリアンのコミュニティに属している場合その影響をどの程度考慮するかも)話し合う機会を持てなかった。キャラクターと演者が当事者性で結ばれることが、舞台上でどういう効果を観客にもたらすかについて、クリエーション全体で共有できなかったことがずっと引っかかっていた。

 劇場で、16人の俳優は、男/女を基準にした楽屋に振り分けられた。わたしは、長い通路にテーブルを置いた簡易の「第三楽屋」にずっといた。高校の修学旅行のあいだ、1週間の日程をすべて個室にしてもらった経験が思い出された。積立金もあるし親や教師にどう説明したら良いのかわからなくて参加したくないと言い出せず、無理やり行った、楽しくもない旅行の記憶。その記憶について、少し前に作家の友人が、「シスジェンダーの自分とは異なる経験で、ショックだった」と伝えてくれた。

杉田水脈議員の「生産性」問題について

 そのクリエーションが始まった時期の2018年7月に自民党所属の衆議院議員・杉田水脈氏が、性的マイノリティを「LGBT」とまとめたうえで生産性がないのだから公的なサポートの優先順位が低くなる、という主旨の文章を「新潮45」に寄稿した。ここから続く差別的な言説を目にしながら、稽古場でわたしの胸はずっと軋んでいた。

 性的マイノリティたちが「生産性」という言葉で差別され、排除のターゲットとされたことの深刻さは、既存のシス・ヘテロを前提とする社会を生きるわたしたちひとりひとりの、肉体や生活の実態とは無縁ではない。「生産性」について考えるには、恋愛やセックスと、婚姻という制度、そして婚姻する二者間に子どもを成すこと、これらが結びついているのが当たり前とされる規範を問う必要がある。

 子どもを持たない既婚者のシス女性の友人から、「子どもはまだなの?」と尋ねられるとか「母親になるのは女の幸せ」と言われるとか、ベタベタな偏見を平気で投げかけられる辛さを聞いたことがある。トランスとして生殖能力を持っていないわたし同様に、シスであっても機能しない、あるいは機能的に弱い人々もこの社会で生活しているという現実への想像力のない言葉があふれている。そういう土俵そのものは問われにくい。差別反対と言うために「トランス女性も女性です」という包摂の声を頼もしく思う一方、差異を捨象して簡単に「LGBT」とまとめて代名詞化されがちな日本では、まとめきれない様々な人々の声が言葉の奥で省略されるのではと不安で、わたしは乗り切れなかった。

 そもそも性にまつわる話題は、紙袋に入れられる生理用品のように、日常的に触れにくい。そのうえ、「あの人がタイプ」とか「こういう態度を取られると好きになれない」といった親密さをめぐる話題について、カジュアルな会話においてですら、トランスはもちろんゲイやレズビアンといった人々は、蔑視の対象になりかねないと口を噤む。それでも、この「生産性」発言を前に、トランス女性の恋愛やセックス、さらには性器の状態について、わたしは考えざるを得なかった。

鈴木みのり
1982年高知県生まれ。ライター。ジェンダー、セクシュアリティ、フェミニズムへの視点から書評、映画評などを執筆。「i-DJapan」「エトセトラ」「週刊金曜日」「週刊プレイボーイ」「すばる」「東洋経済オンライン」「ユリイカ」などに寄稿。2012年、タイでの性別適合手術(SRS)を収めたドキュメンタリー「THIS IS MY LIFE~心の声が聞こえますか?」に出演、番組が第50回ギャラクシー賞奨励賞を受賞する。利賀演劇人コンクール2016年奨励賞受賞作品に主演、衣装を担当する。
Twitter:@chang_minori

新潮社 新潮
2020年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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